アメリカ裁判の発端と当時の状況
(国際勝共連合(IFVOC)『文鮮明師の闘い』1984.9.1より)

裁判の経過と支援運動


 文鮮明師に対する米国での裁判は、文師名義の銀行預金の利息について納税申告を怠っていた、という脱税容疑で81年10月15日、司法省に起訴されて始められた。検察側の起訴状によると、文師は1973年から75年までの3年間に、個人名義の銀行預金(チエース・マンハッタン銀行)約160万ドルの利息約11万2000ドルなど、合計約16万ドルの所得申告を故意に怠っていたということになっている。

明白な宗教弾圧

 しかし、
米国では通常、宗教団体の財産、いわゆる教会財産は牧師名義で管理されるのが一般的であり、このことは、米国憲法修正第一条で明白に保障されている。したがって統一教会も宗教活動の献金を文師個人名義で銀行に預金し、当然のことながらその利息は文師の所得としては申告されなかった。ところが司法省はこれを文師の脱税と決めつけて起訴に持ち込んだのである。

 その結果、
陪審員による第一審が行われ、82年7月16日、文師に懲役18カ月、罰金2万5000ドル (約580万円) の有罪判決が下された。
 弁護側は、これを不服として連邦控訴裁(第二巡回管区=ニューヨーク市) に上告した。この控訴審において、実に不思議なことには、裁判長が弁護側の主張を受け入れ一審判決不支持に回ったにもかかわらず、他の二人の判事が有罪とし、二対一の分立裁定によって、83年9月13日、再び有罪判決が下されたのである。

 弁護側は84年2月26日、ワシントンの連邦最高裁に上告の手続きを取った。上告受理申立書の中で弁護側は、文師に対する第一審判決は明白に宗教弾圧の性格を帯びたもので、「信教の自由」を保障した憲法修正第一条に違反すると強調した。とくに、
第一審において裁判所が被告の審理形式の選択権を無視し、被告の要請した裁判官による審理を拒否、偏見のある陪審員による審理を強要したのは憲法違反もはなはだしいと訴えた。

 文師の裁判に対して政治家や宗教界、マスコミ界は当初、統一教会と文師の一問題にすぎないと考えていたが、裁判の中身と判決の内容が伝わるや、事の重大さに気づき、文師支持に動き始めた。
 下院銀行委員会金融小委のジョージ・ハソセン議員は、著書『我々国民を悩ますもの』 の中で、この裁判に触れ、国税庁が米カトリック教会で行われている同様の資産管理については問わず、統一教会の文師だけを起訴したのは明らかに選別的告発で「政治的、宗教的偏見にもとづくもの」と検察側を厳しく非難した。

 
もし、このまま文師の有罪判決が確定すると、この判例が他の宗教団体にも及び、宗教界は国家の迫害のもとにさらされることになる。このことを知った宗教団体は相次いで文師支持を決議した。これら宗教団体は、米国キリスト教協議会(NCCC)、米国バプテスト教会(ABC)、末日聖徒イエス・キリスト教会(モルモン教会)など40団体にのばった。こうした団体には、実に米国民二人に一人、すなわち1億2000万人の人びとが加わっている。

 これまで文師に批判的だった「ワシントン・ポスト」紙も「この件について国民も黙っているわけにはいかない」(84年2月5日付)と、最高裁が文師を公平に扱うようにとの社説を掲げるなど、文師を支持する記事を再三、掲載している。「ロサンゼルス・タイムズ」紙は「最高裁判所ほ、文師の有罪判決を覆すべき」(84年3月2日付)と言い切るなど、今日、全米のマスメディアが文師支持のキャンペーンを張るまでに至っている。

 このように政界、宗教界、マスコミ界で文師支持の一大世論が巻き起こっているのは、「文師のような牧師が教会の資産に対する税金をめぐって投獄されるかも知れない状況にあって、米国民は恐怖を感じるとともに憤っている」のであり、「文師の裁判は米国人がどのように『信教の自由』を守ろうとしつつあるかという最良の例」 (ハンセン議員) になっているからにほかならない。
 つまり、「文師は政府の教会資産への介入を恐れる宗教界や政界の指導者など幅広い分野の代弁者の立場」(同議員)に立っており、文師は「信教の自由」をかけて米国の良心を代表して最高裁で争ったのである。弁護側の連邦最高裁への申し立てに対して検察側は84年4月9日、上告却下申立書を提出した。

各界から強い抗議

 この両者の申し立てを最高裁判事(長官を除いた8人)がどう処理するか注目されたが、
5月14日、最高裁は文鮮明師から提出されていた上告受理の必要性を認めず、判決理由を何ら示さないまま、門前払いの形で上告拒否を発表した。このため、各界からさらに強い抗議の声が上がった。
 5月30日には、30数教派500人をこす米国の宗教人たちがワシントンで文鮮明師の投獄に抗議する「信教の自由大会」を開いた。主催者は、南部キリスト教指導者会議(SCLC)ジョセフ・ロウリー会長と、ティム・ラヘイ・ファミリーライフセミナー会長を共同議長とする「信教の自由実行委員会」。
 大会でほ議長のロウリー氏が「文師に対する人種、あるいは宗教上の差別は、神が差別を受けていることである」と訴え、さらに参加者全員が「(もし)文師が投獄されれば、一週間ずつともに入獄する決意がある」との意志を明らかにした。そして、「既成の主流派教派が長年尊重してきた伝統に従い、教会資金を運営したことを理由に文師が入獄するならは、この国の他のすべての牧師は同じ恐怖の中におかれることになる」とする「信教の自由宣言」を全会一致で採択。(1)毎年6月の第2土、日曜日を「信教の自由の日」と定め、全米で礼拝してこれを順守する、(2)その実施のための委員会を設立する、(3)文師とともに一遇間ずつ入獄する---ことなどを決議した。

 さらに、ワシントン大会を皮切りに、全米五十州で同様の大会がつぎつぎに開催された。ニューヨークでは6月11日、50教派、500人近い宗教指導者が大会に集まった。
 文師支援の声ほ海を越えて広がった。日本では6月12日、東京・港区の郵便貯金ホールで「宗教の自由の日・東京大会」(3000人)が、同じく13日には神戸で関西大会(700人)が開かれた。韓国でも14日、超教派規模の「宗教の自由のための大会」(1500人)が開かれ、ワシントン決議を支持し、米宗教界と共同歩調をとることを決議した。

 こうした文鮮明師支援運動の潮流の中で、6月11日、ニューヨーク地裁のジェラルド・ゴーテル判事は当初予定の6月18日の文師収監を32日遅らせて、7月20日とすることを明らかにした。一方、
文師裁判の違法性は米議会でも問題にされるところとなり、6月26日、米上院司法委員会憲法小委員会(オリン・ハッチ委員長) の「宗教の自由に関する公聴会」(米国史上初)が開かれた。ハッチ委員長は、文鮮明師をはじめ12人の証人を喚問したが、その結果、「文師の訴追について、米政府が憲法違反を行った可能性が極めて強い」として、司法省に起訴決定の過程を公表するよう要求する、と述べた。
 疑いの内容は、文師に対する起訴決定は当初、司法省刑税部(脱税担当)の担当官3人が「刑事事件を立証できないため起訴不能」との判断を下したにもかかわらず、脱税問題の専門家でもない司法次官補がこれを無視して強引に起訴決定を行ったというもので、何らかの政治判断があったことほ疑う余地がない。
 ハッチ委員長は、スミス司法長官にあて、6月28日と7月18日の2度にわたって書簡をおくり、ことの真相をただした。

 しかし、その回答がないまま、7月18日、ニューヨーク地裁は、文師に対する減刑の申し立てを却下、文鮮明師は7月20日午後11時、コネチカット州の連邦刑務所に収監され、1年半の刑についた。
 文師収監により、文師を支援する動きが一段と強まっている。ワシントンでは7月25日夜、全米から集まった2000人の宗教指導者を含む約7000人の宗教人たちが「宗教の自由ページェソト」(「宗教の自由委員会」主催)を開き、文師の投獄に強く抗議し、会場のコンスチチューションホールは約3000人の宗教人で埋まり、約4000人が場外にあふれた。
 東京でも7月31日、キリスト教、仏教、神道などの宗教指導者や信者を含む1500人が「宗教の自由を守る大会」(「宗教の自由の日」実行委員会主催)を開き、文師支援のための「同苦の会」の結成、および文師救援委員会を設立し、超教派的な宗教界の交流の強化を含む6項目の決議文を採択した。

 「私は米国の獄中にいるが、この牢獄の中で神は宗教の自由のために私を使っている」---文鮮明師の獄中からのメッセージにあるように、文師の受難は人びとの心に霊的覚醒の火をつけ、宗教界の一体化を可能にし、危機の時代の世界を救うシンボルになろうとしている。

(出典:国際勝共連合(IFVOC)『文鮮明師の闘い』1984.9.1発行、P.6〜11)