鳥海豊著「監禁二五〇日証言『脱会屋』の全て」


「監禁二五〇日証言『脱会屋』の全て」
鳥海豊著
光言社、1994.5.25

鳥海豊(とりうみ・ゆたか)
1962年、東京生まれ。早大在学中、原理研究会に入会。大学卒業後、合同結婚式に参加。1991年4月宮村峻らの強制改宗グループにより拉致監禁され改宗・脱会を迫られる。8か月間にわたる改宗プログラムを課せられながらも自力で脱出した。「拉致・監禁による強制改宗被害者の会」事務局長。

               目 次
はじめに
第一章 最初の“話し合い”
   帰国、拉致そして監禁
   最初の監禁場所と「脱会屋」
   「電話はさせない」
   監禁一日目、最初の“話し合い”
   監禁されての原理講義
   ばかげた質問
   「パスポートだけはおれが預かっておく」
   脱会屋・宮村峻との論争
   「神から選ばれた人間は何をしてもいいといいうのか」
   元教会員の告白
   偽善な元教会員の話

第二章 デッチあげられたスキャンダル
   文鮮明師と先輩のスキャンダルを持ち出す「脱会屋」
   邪推と固定観念で迫る脱会の説得
   宮村峻という男

第三章 混乱と動揺、離婚の強要
   第二の監禁場所へ夜のうちに車で移送
   混乱と動揺
   「統一教会をやめるしかないのか」
   離婚の説得
   「別れるように手配しよう」

第四章 自殺未遂
   七十日ぶりの外出許可と、三つの“踏み絵”
   妊娠の知らせと中絶の命令
   自殺未遂

第五章 弁護士の“優しい脅迫”
   弁護士による離婚の“意思確認”
   ねじ曲げて伝えられる妻からの電話
   統一教会に対する貸金請求交渉と訴訟の強要
   長い不毛の日々

第六章 脱出、そして失敗
   脱出、そして失敗
   蛇ににらまれたカエル
   欺瞞に満ちた弁護士
   「豊さんに会わせてください!」

第七章 脱出決行
   第三の監禁場所への移動と“相談会”への出席
   脱出までの長い道のり

解説・「脱会屋グループ」と拉致・監禁の実態
   拉致・監禁・改宗強要の実態
   なぜ拉致・監禁されると生還が難しいのか
   宮村峻氏について
   宮村峻氏が改宗作業中によく使う聖句
おわりに