● 【誕生・修学・伝道・北朝鮮の牢獄】
■誕生・イエスの啓示・日本留学
1920年陰暦1月6日、平安北道定州に生まれる。定州には古くから弥勒伝説があった。幼少名は龍明。南平文氏の始祖・文多省師より49代目。文氏中興の祖とされる文益漸師(韓国に綿花を普及させた偉人)より24代目。1935年4月17日、イエス・キリストより啓示を受ける。李龍道牧師創立の「イエス教会」に通う。1940年、創氏改名で「江本龍明」を日本名とする。1941年、京城商工実務学校電気科卒。1941年、留学のため来日。同時期に来日した韓国人としてロッテ創業者・重光武雄(辛格浩)氏がいる。当時の民族差別および抗日運動関係で高田馬場・戸塚署に頻繁に呼び出される。1943年、早稲田大学付属早稲田高等工学校電気工学科卒。同校は1923年3月に高田早苗・早大総長が設立者となって創立され、1935年に修業年限を2年半(5学期)に延長。機械工学科、電気工学科、建築学科、土木学科からなる。文師の学友として厳徳文氏(建築学科卒、元韓国建築家協会会長。世宗文化会館、ロッテホテル等の設計で著名な建築家。1996年大韓民国文化芸術賞受章)がいた。
■終戦・イスラエル修道院・北朝鮮での投獄と解放
1944年、文師は鹿島組(京城支店)で電気技師を務める。当時の鹿島建設社長は鹿島守之助氏(鹿島氏は外交官で1934年「世界大戦原因の研究」により法学博士号取得。1953年に参議院議員、57年に国務大臣、61年に自民党外交調査会長歴任。拓殖大名誉教授。勲一等瑞宝章叙勲)。
1944年10月〜45年2月、日本留学中の抗日運動を理由に京畿道警察部に連行され過酷な拷問を受けた。1945年3月、鹿島組に再就職したが8月の終戦と同時に退職。終戦時、日本の官憲らに報復する韓国人に対して「日本が敗戦した今、報復してはならない」と述べ、日本人を集めて安全に帰国できるよう尽力した。
1945年10月、金百文氏のイスラエル修道院に入る。修道院内で「文師はメシヤ」との啓示を受ける者が現われたが、金百文氏はそれを認めなかった。1946年6月6日、天啓に従って北朝鮮・平壌に行って伝道を開始。同年7月17日、金元粥(キム・ウォンピル)氏が入教。同年8月11日、北朝鮮・共産党から李承晩のスパイとの嫌疑により大同保安署に拘束。獄中には「主が獄中に訪ねてくる」との啓示を受けていた神霊教団「腹中教」幹部も投獄されていたが、文師の指示に従うことなく獄死した。文師は拷問の末、11月21日に半死半生状態で釈放(雪の中に放置)。
1948年2月22日、教会の人数が40名に増えた頃、再び共産党の宗教弾圧政策の中で逮捕され、「社会秩序紊乱の罪」で同年5月20日に興南(フンナム)収容所(窒素肥料工場)に投獄された。同収容所は「電気化学工業界の父」野口遵氏が1927年に設立した「朝鮮窒素」の硫酸アンモニア工場で、戦後は北朝鮮の強制収容所となった。文師はきわめて劣悪な環境での重労働を強いられる生活を送ったが、獄中で常に他の囚人に自らの食事を分け与えて神に祈る文師の姿に感銘を受けた者が文師の弟子となった。1950年10月14日、国連軍の爆撃と大韓青年団の支援により解放。同年11月、弟子たちを再び集めていた頃、朝鮮半島上空にイエス・キリストの像が出現した。
■文師の誕生日とイエスキリストの誕生日について
韓国は生誕日を陰暦で祝う風習がある。文師が誕生した1920年の陰暦1月6日は西暦では2月25日であるが、西暦が対応する日付は毎年変化する。ちなみに、イエスキリストの誕生日は聖書には明記されていないが、ロシア正教では旧暦(ロシア暦)1月6日をイエス誕生日として祝う習慣になっている。また、昔はローマの太陽暦でもイエスの降誕節を1月6日に定めていた。植田重雄博士(早大名誉教授、ブーバー『我と汝』等の訳者、岩波新書『聖母マリヤ』等の著者として知られる哲学者)は、イエスの誕生日について「12月25日になったのは、ずっと後のことです。初めは1月6日でした。なぜかといえば一年の始まりを天地創造に見立てると、1月1日から始まって天地、光、日、月、植物、動物などが創造され、最後の6日目に人間は造られています。だから新しいアダム(新しい理想の人間像)であるキリストの誕生を祝うのは、この日が最もふさわしいと考えたのです」と述べている(統一教会発行『新天地』1990年12月号、10頁)。なお、文鮮明師の夫人である韓鶴子女史の誕生日もまた、陰暦1月6日(1943年)である。
■「文鮮明」という名前について
「文」は「ムーン」(Moon、月)という発音になるが、メシヤに関するノストラダムスの予言では「予言者の名前のうしろ」(ラストネーム)が月に関係するものであると述べられており、これについて米国のノストラダムス研究家・ジョン・ホーグ氏は「予言にぴたりと一致する名前」と述べている(KKベストセラース「ノストラダムスの千年記」青木日出夫訳、229頁)。
また、「鮮明」の「鮮」にある「魚」「羊」は、どちらもキリストの象徴であるが、「明」も「日」(Sun)と「月」(Moon)で、全世界、昼と夜の光を象徴する。また、日本の「日月神示」(ひつきしんじ、ひつくしんじ)が予言した救世主的な存在をも象徴していると思われる。「日月神示」を解明した岡本信之氏は、文鮮明師が誕生した1920年に「岡本天明」と名乗り始めている(岡本三典著『日月神示はなぜ岡本天明に降りたか』、50〜51頁)。文師は戦前の創氏改名により日本名を「江本龍明」としたが、「岡本天明」と「江本龍明」のアナロジーも興味深い。
文鮮明師の幼少名である「龍明」の「龍」については、東洋において数々の伝説がある。中国では天地創造の祖とされる「龍神伝説」があり、日本にも「龍宮神話」がある。インドでも龍(ナーガ)を守護神とする説話があり仏伝においても「龍樹菩薩(ナーガルジュナ)」は有名。モンゴルでも龍は尊ばれ、「朝青龍」「朝赤龍」などの名前にも使用されており、「龍明」は東洋的には予言的な響きのある名前といえるだろう。
■再臨主誕生の摂理的背景
統一原理によると、本来「神の子」となるべきであった人間始祖アダムがその使命を全うできなかったため、悪の勢力(サタンの支配)がこの世に入り込んだ。イエスはアダムの使命を全うするため「第2のアダム」(神の子)として降臨したのであるが、十字架につくことにより「真の父母」としての摂理使命は延長され、歴史はユダヤ教からキリスト教を舞台として繰り返すことになった。再臨主は「第3のアダム」として誕生するが、サタン勢力に対して打ち勝ったという世界的基台確立の条件が必要であった。それが第一次世界大戦であった。それゆえ、再臨主の誕生は第一次大戦の直後ということになり、その諸条件が成立したのが1920年であった。なお、文師の出生と柳寛順烈士による「3.1独立運動」の関係について一説あり(「3.1独立運動と再臨主の誕生」)。

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