日本語参照訳 (光言社「韓鶴子女史御言選集・愛の世界」1989.2.11より)
 微笑の翼、紫の鶴
  ● 韓国の女性誌「女苑」一九八二年十一月号に掲載された記事


 韓鶴子女史。私たちにはまだ聞き慣れない名前だ。雄大な巨木の陰に隠れた一束のコスモスのように、それほどたやすくは目につかない顔である。文鮮明牧師という世界を騒がしている彼の後ろに隠れて弱々しく内気で、まだベールを簡単に脱がない、いたって韓国的な妻がすなわち韓鶴子女史である。
 『女苑』は、そこで韓女史を訪ねた。一宗教の教主の妻だからというのではない。夫の成功のために忍従し、十三人の子女のために献身した韓女史の生活が読者に無限の感動を与えるからである。
 「夫に開いてみて答えますから、もう一度連絡してくださいますか」。柔らかな優しい声のこの一言で、私たちは楽に韓女史を判断することができる。だれよりも夫を信頼し夫に頼っている妻であることを……。

 
多い二人の共通点

韓女史と文牧師の夫婦には共通点が実に多い。第一に、文牧師が一九二〇年一月六日(陰暦)生まれで、韓女史が一九四三年二月六日(陰暦)生まれという、誕生日が同じ点である。
 第二に、文牧師は平安北道定州が故郷で、韓女史はそこから遠くない安州の生まれであり、故郷が共に平安迫で同じ点である。
 第三に、二人から怒った顔を見たことがないという、端正な微笑を備えている点である。
 第四に、蛇足ながら付け加えると、夫婦とも篤実なキリスト教の家庭に生まれたという点である。誕生日が同じだけでも「天生縁分」というが、この夫婦たるやすでに天が決めておいた夫婦ではないだろうか。韓女史は、一九六〇年四月十一日青坡洞一街七一の三番地の世界基督教統一神霊協会で結婚式を挙げたが、そのとき韓女史は花のような芳年だった。まだ少女の匂いがぷんぷんする年に結婚した。そこで私たちは韓女史に少女時代の夢と結婚当時の心境を尋ねた。
 「篤実なキリスト教の家庭で育った私は、厳格な母が与える聖者聖女伝を読むのに忙しかったのです。他の人のように少女としての夢だの何だのを考える暇もなく母は宿題を抱きかかえている先生のように聖者聖女伝ばかり勧めました。そのためいつしか聖女像を願うようになりました。文牧師と結婚するときもすべてを神のみ意だろうと、幼い年でしたが受け入れました」

 
韓国を愛し白と紫を好む

 韓女史はこのたぴの言論大会に参席した貴賓たちの夫人を招待した。そして彼女たちに次のようにあいさつした。
 「……韓国国民は平和を愛しています。五千年の歴史を通して私たちの国は数多くの侵略ゑ見けました。そのたびに私たちの国民は国家を守るために多くの勇気を見せてくれましたが、ただの一度も他の国を侵略したことはありません。白色の服を好むそのことがまさに平和を変する表徴なのです」
 韓女史が白と紫を好むということを聞いたことがある。白は純粋で純潔であるはかりでなく、自分が韓国人であることを誇らしく感じさせるからであり、紫は奥ゆかしいとともに無窮花の基本色だから好きだということだ。
 「韓国女性は伝統的美徳で有名です。父母に対する子としての孝道、夫に対する尊敬、そして子に対する惜しみない愛、この三種類の美徳の伝統で有名です。韓国女性は一般的に恥ずかしがり屋で無口です。けれピも国家の運命が危険に際したとき、勇敢に立ち上がって命を懸けて祖国を守りました。韓国の「ジャンヌ・ダルク」がたくさんいます。私は皆さんに韓国における真の力は女性の随従にあるということをお伝えします。韓国の女性は夫をどうやって内助するかをあまりにもよく知っています」
 韓女史はその短いあいきつの言葉の中でも、韓国を理解させるため不断に気を遣っているのを知ることができる。ほとんど二十回以上、韓国と韓国人、そして私たちの国という言葉を強調したのだから……。
 「私の夫は本当に特異なのです。すべてを神にささげた強い意志を備えたかたで、本当に夫はひとえに神に狂われたかたです。そのため彼とともに歩調を合わせるということは大変難しいときがあります。しかし、私は彼を内助している立場がどれほどやりがいがあり、うれしいことかと感じ、誇らしく思うのです。そうは言っても内助という項目の成績表をもらったことはありません。皆さんが彼に、私についての評価を尋ねる機会があったら喜んで聞いてみて、その答えを私に教えていただきたいと思います。私がはっきりと断言できるそのうちの一つは、私の夫に十三人の子女を生んでさしあげたということです。その点では、夫が私にメダルをくれるだろうと信じます」。濃い無窮花色のチマに白いチョゴリを配して着た韓女史は、流暢で端正な英語で語った。
 並外れて白く整った歯を見せて、十三人の子女を生んだのだからメダル候補ではないかとのウィットに、場内は爆笑と拍手喝宋にわき、ぎこちなかった雰囲気は瞬時に和らいだ。
 韓女史は真に韓国の女性だった。どれ一つ韓国の魂を備えていないものがなく、とれ一つ韓国人の誇りを備えていないものはなかった。美ぼうを保つために大変神経を遣っていることが一目で分かる元ベトナム首相、キ氏夫人(彼女はミス・ベトナムだったし、またスチュワーデスだったという)が韓女史のことを、「十三人の子女を産みながら、どうしてそんなに美しいスタイルと肌を持っているのか」と問うや否や、「韓国の食べ物がそうなのだそうです」と言うほどに、心から韓国を世界に知らせようとし、韓国人であることを誇らしげにしていた。
 そればかりでなく、そこに招待された人々のための贈り物が韓国のシルクと韓国語理解のための本であった。シルクは通常的に外国人に接するときに使うものだが、韓国語を外国人に伝えようとする努力は胸が熟くなるほど感銘深かった。
 十月八日、リトル・エンジェルス芸術会館で設けられた晩さん会に招待されたすべての言論人たちに帰路、一抱えになるくらい、抱かせてやったのもこの本だった。それは「ハングルの日・十月九日」の前日、その日を褒めたたえたい心をひそかに表現したようで、宗教と言論、それ以前に国に対する愛がにじみ出ているのが感じられた。

  
出産の苦痛でさえ喜びに昇華させた逆境の伴侶

 韓女史はほとんど毎年連続して七男六女、十三人の子女を生んだ。そんな勇気と忍耐がどこから出たのかと尋ねると、「夫は子供を産むたびにどれほど喜ぶかしれません。本当にほぼ毎年妊娠していると、とても力に余るものがありました。また、「お母さん、ご苦労だったね。子供たちが下の子になればなるほど、姿もいいし頭も秀でているのを見ると、これこそ神の祝福ではないかな」という夫の一言は、あらゆる苦痛をすべて包んでくれます。ですから、私にはとんなに難しかろうと、そんなに喜んでくれる夫のためだったから、すべてのことを我慢できたのだと思います。夫の喜びがそのまま私の喜びではないでしょうか」。韓女史の夫に村する愛は、私たちの一般的通念ではとてもついていけないくらい高いところに根ぎしているのを知ることができる。
 文牧師が新聞で過酷に騒がれるときや、または困難に直面したときにとのように慰めているかを聞いてみた。「本当にやるせないほどに、世界のメディアによって過酷に騒がれています。それは世間が本当に私の夫をよく知らないからです。このたびの言論大会で見られましたように、今は世間がとても変わりました。遠からず夫ははっきりと正しく理解されるでしょう。私の夫は逆境の中でだれもやり適せないことをしています。人類の歴史以来大きな什事をする人間であればあるほと、孤独であるということは、だれもが知っていることではないでしょうか。微弱ですが、生死を共にする人がそばにいてくれるという信念を持ってくださるようにしたいと思っています。女の小さな力が時には勇気の源泉になるのではないでしょうか。これが私の内助の本分だと思います」。

  
明るい笑みで慰安の内助を

 そんな困難な状況の中で、また今度の行事のような大仕事を続けていくのに、どうやって美の健康を維持できるようにしているのか、その秘訣を次のように語った。「本当に夫はほとんど寝食を忘れて仕事ばかりしています。一日に二時間しか休まず仕事をされるかたです。夜を徹して祈ることがあまりにも多いのです。けれど幸いにどんな物もよく食べ、食べ物のより好みをしたことがありませんので、あまり神経を遣いません。ただ疲労回復の早い人参を常に飲めるよう常備しています。人参エキスにはちみつ四倍の分量を混ぜて、薄い水あめのように作っておき、朝夕一さじずつ飲むようにします。そして良質の天然生水をたくさん飲むようにします」。
 以前外国に行って美容専門家に会ったとき、若さを長く維持する方法を尋ねてみたことがあった。そのとき、その専門家が「人体の三分の二くらいが水分でできていますから、いい水を一日に八杯以上飲まなければなりません」と言った。おそらくは韓女史がまだ少女のようにきれいで、文牧師がまだ健康な若者のように感じられるのも、天然生水の摂取が秘訣ではなかろうかと思った。
 最後に、どんな方法の内助が賢明なのかを尋ねた。「外で安心して働くことができるよう、夫が神経を遣わないように耐えることではないでしょうか。困難なことがあっても表情に出さずに、いつも明るい笑みを保っていることも重要な内助でしょう」。
 十三人の子女を育てながら、とれほど困難が多かったことかと思われるが、韓女史は外で仕事して孤独の思いを持つであろう夫を考え、自ら堪え忍び、笑みを忘れないことにかぎりない努力をしたという。韓女史の顔からほほえみが去らないのも分かる気がした。すべてを肯定するときも笑みが去らないことを……。

 
白く清い鶴のようにけなげに忍耐する韓国の妻

 韓鶴子女史は鶴子という名前から漂い出る意味のように、人よりも幾重にも忍耐することのできる女性だった。秋の花のような清らかさがあるかと思うと、一本足でまっすぐに支え立って、晴れた日に青空を悠然と、力強く飛翔する日を待つことのできる韓国の女性だった。そしてだれよりも祖国を愛するという誇りを持ち、だれよりも天を愛することができる立場に置かれたことを幸福に考える韓国の妻だった。