スターリンと再臨主の年齢


鋼鉄の男、サタン側の英雄スターリン

神の摂理では、ルターの宗教改革(1517年)から400年後(1917年)という時期が神とサタンの争いの焦点になっています。それゆえ、
1917年にはメシヤの到来を非常に明確な形で知らせる有名な「ファチマの預言」という現象が生じ、また再臨主を証言する役目の人物であった金百文という神父が1917年に誕生しているわけです。

一方、サタン側は
1917年にロシア革命を起こして共産圏世界を構築し、1922年にソビエト連邦を樹立しました。そして、その共産政権の基盤の上に恐るべき粛清(虐殺)を執行して確固たる位置を築いた人物こそ、かのスターリンでした。

スターリンは、再臨主が21歳になった年(1941年)にソ連の首相(人民委員会議長)になって全権を掌握します。「スターリン」というのは「鋼鉄の人」という意味のニックネームですが、まさに彼の体力は実に驚異的で、70歳ぐらいになっても「青年時代と同様、一日せいぜい2、3時間しか睡眠をとらずに、全く精力的に働いていた。彼の肉体は友人や医師たちの言によれば、まさに雄牛のように頑健であった」(講談社学術文庫『スターリン』P.186)と言われています。

韓国動乱の企画者としてのスターリンと、その死

文鮮明師を再臨主として証言する使命をもって1917年に生まれた金百文という神父は結局文師を不信してしまい、その後韓国動乱が起きるわけですが、この韓国動乱はスターリンが裏で計画したことであるとも言われています。

「スターリンは、朝鮮を共産主義国に変えようという彼の計画を強く押し進めた。スターリンは極東における彼の地位を絶対的なものにした後、中国の同志とともに、今度は、極東の発火点にそなえて、守備をかためることに専念した。この頂点が朝鮮戦争であった」(前掲書P.202)との記述などはその事実を示すものでしょう。

ところが、再臨主は動乱の最中にあっても基盤を確立し、命がけで救いを説いて勝利され、
ついに文師がイエスの年齢である33歳(1953年)に到達したため、その後まもなくスターリンは地上で生きる条件を失い、部下から裏切られて死んだのでした(1953年3月5日)。スターリンは73歳だったけれど、もしも毒殺されなかったならば鋼鉄の体力は更に寿命を保ったことでしょう。

スターリンの年齢についてもう少し言及すれば、サタン側においてスターリン(統一原理では「サタン側の再臨主」的立場の人物」)が73歳まで生きたという条件があるために、再臨主(文鮮明師)が73歳を越えるまでは、そのスターリン精神を受け継いで「最後の共産国家」北朝鮮のアボジとなった金日成主席の寿命は保たれる、というような背景があったのではないかと私は考えています。金日成主席は1991年12月に文鮮明師と対談して歴史的な和解をなしたことは有名ですが、その後文師が73歳を越えて74歳になった年(1994年)、金主席は死去しました。