光武帝とイエス &「かごめ歌」


日本に印鑑を授けた光武帝

中国の
光武帝(劉秀)は後漢の名君として有名ですが、当時の日本(奴国王)に金の印鑑を授けた方でもあります。そこから日本が開運に恵まれていったかどうかは別として、当時の摂理的状況を考えてみましょう。

光武帝は劉氏の末裔ですが、200年間にわたって続いた劉氏の漢王朝(前漢)が王莽のクーデターによって乗っ取られていた状況から、奇跡的に劉氏政権を奪還して武帝となった英雄であり、思想的には儒教を中心にして広く国際的な見地に通じるものがあったようです。

古代の日本と朝鮮半島

ところで、当時の日本は朝鮮半島との区別がどこまで明確であったか定かではなく、神話なども日本と朝鮮半島ではお互いに非常に似た内容のものがあります。
例えば、日本の神話では太陽神アマテラスの孫にあたるニニギノミコトが筑紫の日向の高千穂にある「
クシフル峰」に降臨して日本を統治したことになっていますが、古代朝鮮の神話にもそれに似た話があります。

韓国の『三国遺事』によると、光武帝時代の紀元42年に金首露という王様が「
クシ(亀旨)の峰」に降臨してカヤ(伽耶)諸国を統治したという、日本神話の原型とも言うべき物語が書かれているのです。実際、日本の「皇紀」は2000数百年を数えていますが、その年数は大陸(朝鮮半島)の歴史も含めなければ理解できないとも言われています。

光武帝とイエス

統一原理の歴史観(摂理史観)によると、どのような見方ができるでしょうか。当時は人類が救い主であるイエスキリストを真の父母として世界的に迎えるために、東洋文化(特に中国)の発展は目覚しいものがありました。いわゆる三大発明(羅針盤、印刷術、火薬)などの文化革命は、もともと中国で起きたものであるとすら言われるほどです。

当時、東洋の文化がきわめて発展していたのは、イエスが「第2のアダム」すなわち神の子として神の家庭を完成し、十字架について死ぬことなく人類の真の父母となっていたならば、イエスは当時の先進的文化国家であった中国、インドなどの倫理的思想と一つになって世界を統一する予定であったからです。(しかし、イエスが十字架で昇天してしまったので、文明は東洋周りではなく西欧からアメリカに飛び、地球を逆周りしてしまう結果になったわけです)

さて、
光武帝は紀元前6年生まれですが、イエスは紀元前4年誕生説が有力ですので、お互いにほとんど同年齢といってもよいほど同時代を生きているのです。ですから、もしもイエスが十字架につかずに中国にやってこられれば、その時には儒学を中心として礼節を重んじる光武帝とイエスが思想的にも一体となって地上天国を実現していったであろうことは単なる想像のレベルではなく現実性の高いことなのです。

そしてその頃、非常に近い文化を共有していた日本および伽耶諸国と韓国全土はお互いに融合一体した調和的な文化圏を形成することになっていたのではないかと考えられるのです。

イスラエルと日本の神社

当時の日本の歴史を示す神社として、中国の前漢・後漢時代のものが伝わる
元伊勢神社(京都府宮津市)があります。神社の名前は「元伊勢籠(コノ)神社」と言いますが、「籠」という字を「かご」ではなく「この」と読ませています。カゴメの名前にふさわしく、この神社の奥宮である「真名井(マナイ)神社」の碑に刻印されている社紋が、まさにイスラエルの六亡星そのものであることは有名な話です。

私が特に関心を持つのは籠神社に伝わる2種類の鏡(邊津鏡と息津鏡)のうち、邊津鏡が前漢時代のもの、息津鏡が後漢時代のものであること、つまりイエスキリスト誕生時の前後に渡っているという事実です。

しかも、
籠神社には現存する“日本最古の系図”として国宝に指定されている(つまり国家公認の)海部(あまべ)氏の系図が伝わっているのですが、それによると、神代以来血脈で世襲してきた血統系列で、卑弥呼の謎すら解明できる可能性があると言われています。

ちなみに、歴史家として著名だった故樋口清之博士も、「おそらく朝鮮と卑弥呼とは血縁関係は非常に深いといえると思います」(『女王卑弥呼の謎』P.68)と述べておられます。

「かごめ歌」の解明

籠神社の「籠」は普通に読めば「かご」ですが、ユダヤの紋章(六亡星)がいわゆる「かごめ」(籠の網目で出来る模様)に似ていることもあって、ユダヤと「かごめ歌」の歌詞内容が話題になることがあります。

そこでちょっと「かごめ歌」の歌詞を検討しましょう。歌詞の中にある「
籠の中の鳥」というのは実は「鳥」ではなくて「鳥居」であるという解釈があるのですが、私もそうではないかと思います。

それで、なにゆえに「籠」すなわちイスラエルの中の「鳥居」なのかというと、鳥居というのは「二本の柱」になっている点に秘密があるのです。つまり、
日本神話で「柱」は神様を現わすのですが(例えば「三柱の神」等)、二本の神は男女の神、あるいは「父母としての神」を示すものと考えられるのです。

そして、その二本の柱(神)の実体的な内容を示すものとして、歌詞の中に出てくる「
鶴と亀」という表現が使用されているのではないかと思います。鶴は優雅でやさしい鳥として女性的なもの、特に「お母様」を象徴すると思います。亀は力強い男性的なもの、「お父様」の象徴だと考えます。

国家の摂理としては、鶴は女性国家日本、亀は男性国家韓国(韓国の神話には亀が重要な役割として登場します)、という解釈も出来るかもしれません。その場合はエバ(女性)の国、アダム(男性)の国、ということです。また、「亀と鶴」じゃなく「鶴と亀」というふうに女性を先に立てている所がアマテラスの女性国家日本らしい性質を示しているともいえます。

「かごめ歌」は、籠の中の「鳥居」(真の父母)は「
いついつ出やる」(いつになったら登場するのだろうか)と迫ります。はるばるイスラエルから来られるイエスキリストが真の父母として世界を統一するのはいつだろう、早く来てほしいものだ、という意味です。

夜明けの晩」というのは解釈が難しいようにも思われますが、感覚的には「人類史の終末」を示しているように思います。つまり、「夜明け直前の暗闇」、「これから明るい時代を迎える最後の夜」というような意味だと思います。

鶴と亀がすべった」というのは真の父母が世界を統一する(統べる)という予言的表現だと思います。そして、歌詞の最後にある「うしろの正面、誰?」というのは、いよいよその真の父母がどこからやってくるか、その場所を示しているのではないでしょうか。「かごめ歌」は日本の歌ですので、日本列島から見て「うしろ」(裏日本、日本海方面)に正面が見える国はどこでしょうか。それはズバリ韓国を指していると言わねばなりません。ですから、「うしろの正面、誰?」という問いかけは、籠(イスラエル)から生まれ出る真の父母は日本のうしろ側からやってきますよ、それが誰であるか悟りましょう、というほどの意味が込められているのではないかと思われます。2003.7.20江本武忠