「コロンブスの卵」の教訓◆ 〜生卵は平面に立つ〜


ゆで卵と生卵の違いとは

「この卵を立てることができるか?」。。。「う〜む。できない。君は出来るのか」。。。「こうやるんだよ」といって、ゆで卵をグシャっとつぶして立てて見せた。。。これがコロンブスの卵、まあ一つの発想の転換ではあります。

しかし、それがゆで卵だったから出来たわけで、生卵の場合は割るわけにはいきません。しかし、実はここからの話が
真実の「コロンブスの卵」なのだということを知らない方が多いのです。驚くなかれ、生卵は平面に立つのです。なぜかって? ゆで卵は死んでいるのでつぶさなきゃ立たないのですが、生卵は呼吸している(生きている)から最初のバランスさえ取ってやれば立つのです。

「生卵は立つ」と断言する野口三千三先生

野口体操」として有名な野口三千三先生(東京芸術大学名誉教授、故人)がおられます。野口先生の『原初生命体としての人間』(三笠書房)という本には次のように書かれています。

「ふつうの精神的、身体的能力をもっているものならば、誰がやっても、いつでも、どこでも卵を立てることができるはずである。最初は、両手で長い時間かけても、なかなか立てることができなかったものが、片手でも立てられるし、さらには逆立ちさせることもできるようになる。昨夜立てたものが今朝になっても悠然と立ちつづけているのを見たときには、一種の感激さえ覚えるであろう」
(同書「卵との対話──生卵は誰でも鏡の上に立てることができる」P.21〜24参照)

さあ、ここで人の考えは分かれるかもしれません。「そんなこと、あるもんか。無駄なことをやらされてバカを見たくないのでやめておこう。生卵が立つわけないじゃないか」と考える方と、「騙されたと思ってやってみようじゃないか。生卵を立てるという経験をすることが出来ればともかく面白いじゃないか」と考えてチャレンジする方。。。実は私は後者のほうでした。

私の場合、15分間ぐらい悪戦苦闘したでしょうか。生卵を平面の机の上に置き、両手で慎重にバランスを取りながら、なかなかうまく行かないなあと思っていたところ、ある瞬間、卵を支えていた私の全ての指が静かに卵から離れたかと思った時、ふっと卵は立ったのです。その感覚はまるで卵が「自分で立った」ような錯覚をもつほど自然に思われました。


生卵が立つ。写真:T氏提供)

物事をポジティブにとらえる

「そんなことあるわけない」。。。こういう発想のクセがついていると、真実を発見する時にマイナスになることがあります。霊界? あるわけないよ。歴史が繰り返している? そんなことないでしょ。ど〜せ、こじつけでしょ。。。こういう発想をするのは自由ではありますが、
「ひょっとして、そういうこともあるかもしれない」というふうに、まずは肯定的に考えてみる、ということも真理発見のためには非常に重要なのではないでしょうか。2003.7.18江本武忠(2003.12.26T氏の写真を補足)