洗脳されたって!?


洗脳とは何か

ある人は言います。「私は統一教会に洗脳されました。だから、これまでに私が統一教会に対してかけた経費を全部返してほしい。青春も金銭に換算して返してほしい」と。もちろん学生や子供ではなくて立派な成人の言葉です。

ここでいろんな問題があります。まず、洗脳というのは一体何かということ。そして、一体誰が誰にどのように洗脳されたのか、ということ。それから、洗脳されたと主張することで本人の行為責任は無くなるのか、ということです。

とりあえず、ある人物が洗脳されていない場合はもちろん「私は洗脳されていません」と言うでしょうし、逆に本当に洗脳されている場合、まさか「私は洗脳されています」などと言うわけがないですから、結局そういう主観的なことでは誰も判断できません。だから、どうしても何か客観的な証明が必要です。

そこで、洗脳の有無で問題になったオウム真理教のケースを考えてみましょう。彼らは出家しますので、通常の社会生活からは全く遮断されます。そして教祖を絶対に逆らうことのできない状況にあり、「人を殺しなさい」という命令にも逆らわないほどに完全に教えを信じていました。実際に殺人行為が行なわれました。そして、その修行方法は「ヘッドギア」と呼ばれるような器具を頭に装着して電流を流すというものです。あるいは教祖の声が繰り返し吹き込まれたテープを一心に聴きつづけます。これはもう、洗脳と言ってもいいケースではないでしょうか。

本人が通常の社会生活から遮断されていること、絶対逆らうことが出来ない状況にあること、人殺しさえ実行する程度に深く信じていること、特殊な器具を使用していること、これらは洗脳といわれるものが成立する要素であり、オウムの場合はそれらが複合的に成立しています。

オウムの信者は「洗脳」されていたのか

もしも、オウムにおいて洗脳がなされており、本人が反抗することが出来ない状態であったとすれば、その行為の責任を本人に対しては問うことができないでしょう。つまり、洗脳された者が殺人を犯しても本人にとっては不可抗力であったとすれば、本人に罪は問えないことは明らかです。

それでは、
オウム真理教で殺人を犯した人で無罪になった人は一人でもいるのでしょうか。オウムの弁護団はそういう「洗脳説」を主張して本人に責任が及ばないことを述べたわけですが、そういう主張が認められたケースは皆無です。

つまり、「洗脳」に関しては、オウム真理教において行なわれていた程度であれば「洗脳された」とはいえない、ということです。ですから、もしも「統一教会で洗脳された」という人がいれば、統一教会の中でオウム真理教以上の洗脳的行為がなされたという事実を裁判で立証しない限り、洗脳ということは認められないと言わねばなりません。それが「法の下の平等」(憲法14条)というものです。


統一教会は「洗脳」しているのか

さて、「私は統一教会に洗脳された」とおっしゃる方の件ですが、
その方は統一教会に拉致・監禁されたとでも言うのでしょうか。事実はむしろ、拉致・監禁・強制入院・強姦等の被害にあっているのは統一教会信者のほうです。

また、ある方は統一教会の信者がなした商行為上の契約において違法があったなどと言います。しかし、本人が未成年者でなく禁治産者でもなければ、署名捺印された契約書は有効ですし、消費者を守るためのクーリングオフの権利も行使していなかったとすれば、その契約は立派に成立しています。また、いかなる思想・信条をもっていかなる職業に就くのも憲法が保障する自由に属する行為ですし、日本は共産主義国家ではないので、基本的に契約自由の原則によって社会が成り立っています。

また、ある人は統一教会で活動していた自分は騙されていたのだ、全部ウソだったのでお金を返してほしいなどと言います。しかし、一体誰に騙されたと言うのでしょうか。騙されたという以上、騙す人がいたはずです。その人を提訴すべきでしょう。教団としては正式に法人登記をしていますし、規定にしたがって運営していますので、
「いつ、どこで、誰から、どういう真実をどういう虚偽をもって騙されたのか」ということについて、具体的に証明する必要があります。子供ではないのですから、「騙された。金返せ」では通用しないのではないでしょうか。

「洗脳された」というのは詭弁である

すなわち、彼等が「洗脳された」ということを立証しようとしても、人を拉致・監禁しているわけでもなく、まさか「ヘッドギア」等を使用しているわけでもない統一教会において洗脳されたことを立証するのはほとんど不可能ではないかと思います。

結局、「洗脳された」という方々の意図は何でしょうか。一つは金銭的利得であることは彼らの主張から明らかです。「お金を返せ」と主張しているわけですから、これはハッキリしています。 もう一つは統一教会にダメージを与えようという攻撃目的です。他の宗教団体でもありうるトラブルですが、最初は教会の活動に賛同していたけれども途中で考えが変わって脱会するわけですが、脱会するだけでは気が収まらず、今度は逆に攻撃してくるケースです。いわゆる「反対派」の人々です。これはタチが悪い。それがもっと本格的になって組織化したものとして、信者を拉致・監禁して棄教を迫るという集団が形成されていきました。ただし、この拉致監禁行為については現在警察の取り締まりの対象になっています。

いずれにせよ、目的はお金であり攻撃ですので、彼ら自身にとっては洗脳があったかどうかということはあまり問題ではないのかもしれません。要するに洗脳という言葉は目的を達成するための詭弁でしかないのです。2003.7.29江本武忠