反対派の詭弁的主張の事例
反対派の人々がどのような論法を使用して統一教会を攻撃しているかということを知るために事例をあげましょう。一つは、文師が日本留学時代に何度も呼び出された戸塚警察署があった場所について、来日された時のスピーチの中で文師が方向を間違えたという非難。もう一つは、統一教会と村井資長・元早大総長との間で起きた裁判で統一教会(原告)の敗訴が確定した、というものです。どちらも全くの虚偽ですが、反対派の論法がよく現われているので、とりあげてみます。

文師が昔の警察署の方向を間違えたって!?

統一教会に反対しておられる方の主張として実に詭弁的な内容のものがあります。その一つの例として、「文鮮明師は留学時代の戸塚警察の方向を間違えた」という批判があります。
文師が早稲田の学生だった頃、当時の戸塚警察署で何度も拘束されて拷問まがいの取調べを受けた経験があるのですが、文師が留学した1941年は日本が戦争に突入した年ですし、独立運動を展開していた文師を警察が目の敵にしたことは明らかです。毎月のように呼び出されていたという警察署の方向を文師が間違えるわけがないでしょう。
そのようなことを私が掲示板に書いた所、別の掲示板に「むちゅうさんのでたらめ」などという根拠のないことが書かれました(仕事求子氏管理「真剣な笑える掲示板」No.836、2003.7.25.18.21、「じじい50」氏発言)。こういう反対派の挑発はいつものことですが、うんざりします。

では、なぜ反対派が「方向を間違えた」などと言うかといえば、文師が1965年10月8日に早稲田の原研寮に来た際に、戸塚警察署について「警察署に1ヶ月に一回呼ばれたね。高田馬場通りのね、早稲田の方から右の方にあるんだね」という言葉が根拠になっているようです(掲示板「櫻井美佐子と真剣に語ろう」No.318,2003.07.25.19.14,じじい50氏発言)。

ところが、実際に早稲田の門を出てから歩いてみると分かりますが、昔の戸塚署というのはどんどん右側に向かって歩いていくしかないのです。反対派の方は「右・左」という表現と「東・西」という概念をごっちゃにしておられたのかもしれません。それで、私が発言者に対して反論すると、今度は「そのころ「門」があったのでしょうか。現場を確認したというには、杜撰過ぎます」などと再反論してきました(上記じじい50発言No.238)。
「でたらめ」というのが「言い過ぎ」であったことを認めたものの、今度は「杜撰(ずさん)」だというふうに表現を変えて来られました。このように、謝罪しているように見せかけて実質的には別表現ですりかえるというのも反対派の特徴かもしれません。

ところが、実はこの反対派の反論もまたおかしいのです。
発言者は「1965年10月8日」に語られた文師の文言を根拠にして方向がどうのこうのと主張するわけですから、留学当時に門があったかどうかということはむしろ問題にならないのです。しかも留学時代の早稲田高等工学校の門は現在も存在していますし、その門から歩いても戸塚署は右側に向かって行くしかないのです。これを詭弁と言わずして何というべきでしょうか。

私は航空図を使用して当時の戸塚警察署が早稲田から右の方向にあったことを示しましたが、こんな単純なことでケチをつけられ、右か左かという幼児でも分かるような内容について航空図で示す結果になったのは可笑しくもありますが、反対派の主張の詭弁的性格をよく示している事例であると思いました。
http://www.chojin.com/jiji50.htm

統一教会の勝訴的和解を、逆に「敗訴確定」と称するウソ

次に、裁判の事例についての反対派の詭弁例を示します。昔、早稲田大学総長だった村井資長という人が統一教会について虚偽を述べたことがありました。静岡の伊豆にあった「川口記念セミナーハウス」という会館の用地取得に当たって統一教会が私文書を偽造したなどと述べたものです。
実際にはその文書は村井被告の妻が1976年4月27日に同会館の2階で自分で署名捺印したものでした。裁判というのは、その村井被告の言動が事実無根であり名誉毀損を構成するという主張内容で争われ、原告は統一教会で、被告は村井資長と禎子夫人および某出版社でした。

一般に特定の言動が名誉毀損を構成するかどうかは表現の自由との兼ね合いで争われることが多いのですが、第一審は名誉毀損を認めませんでした。そこで、統一教会はその判決を不服として控訴し、控訴審で裁判所からの強い勧告もあって和解に応じることにしました。

統一教会が和解に応じたのは、最大の争点であった私文書儀郎などの事実について村井被告自らが間違いであったことを認めたからでした。その事実さえ相手が認めれば実質的には裁判の主張が認められたのと同価値であると評価できるのです。

ところが、反対派はこの裁判について統一教会(原告)の「裁判は原告敗訴で確定」などというウソを公然と書きました(「楽しい掲示板」管理人翔子氏2003.08.05.13:49,No,3316発言者「ゼゼヒヒ仮面」氏)。
判決の「確定」というのは原審判決から14日以内に控訴しなかった場合に言えることで、実際には控訴して和解に至っているわけですから「確定」というのは明らかにウソです。ところが、私がその件を別掲示板で指摘したところ、そのウソについて訂正するどころか、今度は被告側の「実質勝訴」だという表現にすりかえました(同発言者No,3319)。

ここで、発言者がなぜ本件和解を「実質勝訴」などと称するかというと、その根拠は統一教会が裁判で主張していた謝罪広告掲載、訴訟費用、賠償金請求などの請求を和解において取り下げているから、というものでした。
しかしながら、
統一教会はそもそも金銭を目当てに訴訟を提起していたわけでないので、最大の争点であった私文書偽造等の事実について明確に統一教会が関与していないことを相手が認めることで実質的に勝訴と同価値の法益を統一教会が得ているわけですから、裁判所の勧告に従って和解をする以上、もはや賠償金その他の請求を取り下げるのが当然なのです。それが「和解する」という意味なのです。
また、訴訟費用というのは主として「訴訟物の価格」に対する印紙代のことを意味していますが、和解の段になればこれも取り下げるのがむしろ通例だと言えるでしょう。

本件和解の真価は、村井被告が自らの間違いを認めて遺憾の意を表した所にあるのであって、そういう裁判上の争点に関わる重大な事実認定がなされたということをもって実質的な統一教会の勝訴だと解するのが本件和解に対する真実の評価なのです。被告が自らの間違いを認めた和解について被告の「実質勝訴」であるなどと言い張る反対派の見解はいかにしても詭弁にすぎないと言うべきだと私は考えます。

なお、発言者である「ゼゼヒヒ仮面」という方は、ますます居直り、反対派にお決まりの誹謗中傷が始まりました。「つっこんでくれると、実態を説明できる。尻尾巻いてカネ払って逃げた、という実質が見えますよね」(上記発言No.3333)というものです。何が言いたいのでしょうか。もしも、この方がいうように統一教会が「カネ払って逃げた」ということが事実であれば、逆に村井被告はカネを受け取ることで喜んで事実を認めたということでしょうか。それまでの8年間ひたすら反論してきた村井被告は、いやしくも早大総長まで務めた人物です。それが実はお金で簡単に動く人だったとでも言いたいのでしょうか。

私は本件で村井被告が事実を認めて和解せざるを得なくなった理由を知っているのですが、既に両者間に和解が成立している関係上ここでは述べないことにします。どうもこの「ゼゼヒヒ仮面」という方は本件裁判についての詳しい内容については全くご存知ないようです。判決確定と和解の区別すらつけられない文面からして裁判制度に詳しい方だとも思えません。
ともかく、
和解なのに判決が「確定」したかのようなウソを書いたり、実質的な争点において統一教会の主張が認められた勝訴的な和解をしているのに、反対に被告側が実質勝訴したかのように書いたり、あげくの果てに「尻尾巻いてカネ払って逃げた」などという何の根拠もない虚偽事実をもって誹謗中傷する、これがまさに反対派の手口であり論法なのです。2003.8.07江本武忠