●シンボル的年数(アダム〜ヤコブの象徴的同時性の時代)

 このホームページで紹介している年表は、聖書に記載された年数を根拠としています。しかし、たとえば聖書の年数で計算すると人類史がわずか6000年程度にしかなりませんし、「ノアは950歳まで生きた」などと書かれているように聖書の神話に出てくる年数というのは現実の年数ではなく、あくまでも「シンボル的(象徴的)な数値」なのです。ただ、シンボルにすぎないとはいっても、人類史はそのシンボルが原型になっているので数値の背景に隠れた意味が非常に重要なのです。日本で「オカルト(隠されたもの、神秘学)」というと何だか暗い印象がありますが、本当はあらゆる現象の原型となるシンボルで構成された隠喩や暗号の体系です。そういう意味では、聖書の神話や数値は最高のオカルトというべきかもしれません。

●イメージ的年数(ヤコブ〜イエスの形象的同時性の時代)

 そして、そのシンボル的な年数が具体的な「イメージ」(形象)を形成しつつ展開してくる時代がイスラエル民族の2000年なのです。「イメージ」は何かの原型(神の摂理)が具体的な形で表わされたものです。だから、イスラエルの歴史には「バビロン捕囚」の年数のように歴史的事実よりも預言者の予告(イメージ)のほうが先行しているケースすら存在します。そして、選民の歴史の目的であるイエス・キリストの誕生の時期が次第に近づくにつれて実際の(つまり聖書を離れた世俗的ないわゆる「世界史」の)年数に等しくなってくるわけです。

●実体的年数(イエス〜再臨主の実体的同時性の時代)

 更に、イエスが十字架で殺されたため、再臨主を迎えるためのキリスト教の2000年(紀元後)の時代に入ると、今度は聖書の年数から完全に離れて現実の歴史的年号と一致するようになります。しかし、あくまでも聖書の原型となるシンボル的な数値は紀元後も脈々と生きているのです。つまり、聖書の枠内でのみ通用していたシンボル的な年数やイメージ的な年数が、ついに聖書の神話の世界から飛び出してきて現実の歴史的出来事としてリアルに展開し始めるのです。
 この事実を見て、ものすごく「驚嘆すべき」「血わき肉躍る」「天地がひっくりかえるほどの」重大発見である、と感じることのできた貴方はすでに教科書的な歴史観を卒業して、人類史というものを神(創造主)と同じ視点でとらえ始めておられるのです。