統一教会という宗教団体に入会して、しばらくは積極的に活動していたけれども途中で 活動を放棄した人々が、その期間が青春の無駄であったとして統一教会を訴えた裁判があ る。いわゆる「青春を返せ裁判」という事件だ。
  彼らは自分たちの青春を「円」に換算して(この辺が唯物論的で笑えるのだけれど)、 全国のあちこちで裁判を起こし、青春(=金)の返還を求める裁判を起こした。

 しかし、そんなわがままな主張が裁判所で認められるはずもなく、ことごとく彼らは敗 訴した(岡山地裁、名古屋地裁など)。中には自分自身でも言っていることがアホらしく なったのか、訴えを取下げる者も現われてきた。そればかりか、彼らを弁護していた左翼 過激派のカルト弁護士の一部にも「俺は降りるよ」と言い出す者が出てきたのだ。左翼弁 護士にも良心のカケラぐらいはある、といった所か。

 ただ、教会側も裁判にかかる費用の問題とか、彼らが吹っかけているナンセンスな議論 に付き合っている時間と労力の浪費もバカにならないので、彼らがほしがっているお金の 一部だけを渡して裁判を打ち切る、という和解のケースもあった(東京地裁)。その場合 でも「青春一人分、100万円也」という感じの和解だ。まあ、自分の青春が所詮100 万円程度のものとして納得してしまうぐらいのものだから、もともと実質的には大した被 害など存在せず、その本質は反統一教会キャンペーンみたいなパフォーマンス的裁判だっ たのだろう。

 実際、彼らの側には数十名の弁護士が付いていたが、これもパフォーマンスにすぎない。 そのパフォーマンスに乗って利益を得ようとした伊藤芳朗という左翼弁護士は「青春を返 せ」の裁判について、「ボクはネーミングが気に入ったので、『名前だけでよければ代理人 になってもいいよ』と軽く返事をしました。弁護士業界の内輪話ですが、社会的に大々的 に問題にしたい事件の場合、多数の弁護士が名前だけを連ねるということがときどきある のです」(伊藤芳朗著、教育史料出版会『ボクが弁護士になった理由』より)と告白して いる。要するに、単なる名前貸しである。私は、訴えの内容をよく調べもせずに単に「ネ ーミングが気に入った」だの「名前だけを連ねる」などという態度そのものが弁護士としての注意義務に著しく違反する不法行為であると思う。

 また、私が特に「元信者」と自称する彼らに対して言いたいことは、「自分の青春、自 分の選択、自分の行動には自分で責任を持て」ということだ。自分の行動に責任を持たず、 常に誰かのせいにして金を要求するような態度では、相手が宗教団体の場合ならば宗教者 特有の寛容な対応をしてくれることもあろうが、世間一般では全く通用しないことである。 自分は全然悪くなくて、国家が悪い、社会が悪い、学校が悪い、宗教が悪い、などという 無責任な主張は(昔は覆面をして叫ぶヘルメット学生がいたが)最近では中学生の作文で もあまり見かけなくなってきている。ということは、彼らの主張は中学生レベル以下だと 言うべきなのだ。

 統一教会に入会していた時には喜んで積極的に活動していたのに、途中で挫折したら急 に態度を変えて教会に対して「金をくれ」というのは、子供ならばいざ知らず、いい年を した大人の言うことでもあるまい。青春には喜びも挫折もつきものだ。それをいちいち裁 判で訴えていたら、日本中が裁判だらけになって裁判所がいくつあっても足りなくなるだ ろう。裁判所は、単なるパフォーマンス的な迷惑裁判を起こす左翼カルト弁護士や幼稚な 左翼思想に洗脳された「元信者」たちに対して、今後とも毅然とした対処をしていただき たい。