3.聖書「創世記」の奥義

 フロイトは人間の深層に性の衝動を見た。ユングは人類共通の普遍的無意識を発見し、そこに実に神秘的なイメージを見ていた。おそらく、そこには無意識の彼方に焼き付けられた、太古における人類共通の鮮烈な原体験ともいうべきものが存在するのであろう。一体、人類が共有する根源的出来事とはどういうものなのであろうか。我々は、フロイトの理論、ユングの神話分析の手法を超えて、神話の中の神話ともいうべき旧約聖書の『創世記』の謎を解いていこう。

 ●「生命の木」と「善悪を知る木」

 旧約聖書の創世記は人類誕生の神話であるが、神話の多くはシンボルで表現されており、それが何を象徴するのかについての解釈がポイントになる事はいうまでもない。前章において、ユダヤの秘儀カバラにおける修行の到達目標が「生命の木」という人間完成のイメージに集約されていることを御紹介した。「生命の木」は人間始祖アダムが到達するべき、いわば理想の男性像であり、国王(メシヤ)をもあらわすものである。それでは、何故にアダムは神から離れていったのだろうか。フロイトの夢解きではないが、ここから創世記の神話のイメージを解いていこう。

 創世記によると、神はエデンの園に「生命の木」だけを置いたのではなく、それと一緒に「善悪を知る木」を置いたとされている。そして神は二人に「善悪を知る木」から、その実を「取って食べてはならない」、という戒めを与える。それを食べると死んでしまうというのだ。ところが狡猾なヘビが現れて、アダムの婚約者であるエバを誘惑する。最初は断っていたエバもついにヘビの誘惑に負けて、その実を食べてしまう。
 そして御存じのようにアダムもその実をエバから受け取って食べてしまう。すると突然、二人はそれまで裸でいても何ともなかったのに、急に裸である事が恥ずかしくなり「イチジクの葉」で腰を隠したのである。

 神はアダムの責任を追及する。アダムはエバからもらったのだと言い訳する。エバはエバで、ヘビにそそのかされたのだと言い訳する。そして、神はヘビが呪われると予告し、戒律を破った二人にも追放命令を下さざるをえなくなった…(「創世記」第2〜3章)。物語の概略は以上のとおりである。

 まず、「生命の木」と一緒にあった「善悪を知る木」とは一体何のイメージであろうか。ユダヤの秘儀において「生命の木」がアダムの完成型を示す象徴であるとすれば、それと同等に並んでいた「善悪を知る木」は当然エバの完成型を示すと考えねばならないのではないか。しかもその木はことさら「実」を結ぶことが強調されているのだ。それは妊娠する女性のイメージとも直結するのである。

 その「善悪を知る木」(エバ)の実を食べてはいけない、という戒めの内容が問題であるが、「食べる」という言葉は実は俗語であって、具体的には「性行為」を意味している。日本語でも女性に対して「食べごろ」などという失礼な言葉もあるが・・・。
 次に、ヘビが登場してエバを誘惑するが、当然これは性的な誘惑であろうことは簡単に予想がつく。ヘビが男性自身のシンボルである事は、何も難しいフロイトの夢解釈によるまでもなく精神分析上の常識中の常識ともいえる。

 そしてヘビの性的誘惑により、エバはその禁断の実を食べさせられる。ここで、エバを誘惑して性的関係をもったと思われる狡猾な「ヘビ」に象徴される具体的な実体とは何者だろうかという疑問が生じるであろう。なぜなら、当時アダムとエバ以外には人間はいなかったはずだからである。
 とすれば、このヘビは人間ではないという単純な結論になる。新約聖書においてはしばしば「年を経たヘビ」という表現が使用されるのであるが、それは聖書ではサタン(悪魔)を象徴するものである。たとえば、「黙示録」には次のように表現される。

  「この巨大な龍、すなわち、悪魔とかサタンとか呼ばれ、全世界を惑わす年を経たヘビは、地(地獄)に投げ落とされ、その使い(天使)たちも、もろともに投げ落とされた」(「ヨハネ黙示録」12:9)

 また、黙示録で預言されている「千年王国」に関する記述においても、
  「彼は、悪魔でありサタンである龍、すなわち、かの年を経たヘビを捕らえて千年の間つなぎおき、…」(「ヨハネ黙示録」20:2)

 などと表現されている。聖書ではこのヘビは悪魔とかサタンとか呼ばれているのである。もしもこのヘビがエバを誘惑した張本人であるとしたら、天地創造以来ずっと存在している最も年をとった者であるに違いない。では、この「年を経たヘビ」とは一体何者なのだろうか?

 ●サタンの正体

 人間以外の存在で、しかもエバを性的に誘惑した悪魔的存在、そしてその者が人間始祖のみならず全世界を惑わしている者であるとすれば、一体何であろうか。それはもはや目に見える存在とは到底考えられない。すなわち、霊的存在だといわざるをえない。そして、人間以外で目に見えない霊的存在というのは、聖書では「天使」以外には考えられないのである。

 実際、天使と人間が性的関係をもつという記述(たとえば「創世記」一九章一節以降)は聖書の中にも出てくるので、それ自体は荒唐無稽なことではない。また、コリント後書では「サタンも光の天使に偽装する」(11:14 )とある。ペテロ後書には「神は、罪を犯したみ使いたちを許しておかないで、彼らを下界におとしいれ…」と書かれており、天使が地獄に落とされたという事実を述べている。
 また、サタンの正体が天使という霊的存在であり、その者がエバと性的関係におよぶ罪を犯したという事は、ユダ書の記述をみるともう少し明確になる。すなわち・・・

  「主は、自分たちの地位を守ろうとはせず、そのおるべき所を捨て去ったみ使い(天使)たちを、大いなるさばきのために、永久にしばりつけたまま、暗闇の中に閉じ込めておかれた。ソドム、ゴモラもまわりの町々も同様であって、同じように淫行にふけり、不自然な肉欲に走ったので、永遠の火の刑罰を受け、人々の見せしめにされている
 このユダ書の記述は貴重である。ここには、天使が地獄に落とされたという事実が明記されているばかりか、その犯罪の内容が、不自然な淫行にふけった事だとされているからである。

したがって、聖書を整合的に解釈しようとする限り、どうしてもエバを誘惑したヘビの正体は天使であり、その罪の内容は主としてエバとの淫行(不倫な性的関係)であると、結論づけなければならないのである。
 我々はあらゆる先入観を捨てて、今一度「聖書」という人類共通の神話が示す「事実」をそのまま直視してみようではないか。

 ●知恵の天使ルーシェル

 実は、多くの霊能者や聖書研究者によって、堕落天使ルーシェルの存在は様々な形で指摘されている。
 たとえば、霊能者の三穂希祐月氏は『天界からの脅迫』の中で、モーセが語る形式で、「このサタンの起源は、人間よりも古い。サタンは堕天使と呼ばれ、もともと優秀な神の御使いである天使ルシファーが、神があまりにも人間を可愛がることに嫉妬し、人間を堕落させた張本人とされている。その結果、神の怒りを受けて地に堕ち、それ以来、永遠に邪悪な心を持つ存在になったと言われている」と述べ、さらに「サタンとはお前たち人間が考えているような存在ではなく、その究極における悲しみ、苦しみ、絶望などを背負わされた神と呼んでもいいじゃろう。そして、遂にサタンは、ワシら神と離反し去って行ったのじゃ」とも述べておられる。私が三穂氏の叙述に注目するのは、「ワシもよう分らんが、このサタンの行いについて、天の父は、なぜか沈黙を守っているのじゃ。きっと何かの考えがあってのことじゃろう」と書かれている点である。この「神の沈黙(無干渉)」については、実は神と人間の重要な関係が秘められており、三穂氏の啓示は非常に鋭い観点を含んでいるといえる(『天界からの脅迫』P.194 〜196 )。

 霊能者でGLAの創始者、故高橋信次氏の直弟子の一人である土居釈信氏も、サタンからの霊界通信を受け、『地獄界の帝王ルシ・エル サタンの陰謀』という著書にまとめておられる。それによると、ルシ・エルはミカエルを頂点とし、ガブリ・エルと並ぶ天使で、天使の中でも最も強い力をもっていたという(同書、P.48〜49)。
 渡辺大起氏の『宇宙からの黙示録』という本は実に不思議な内容で、通常の感覚ではとてもついていけないものだが、霊的な観点から見れば非常に共鳴するものがある。渡辺氏によれば、「悪なる存在」へと堕ちたルシファーは、もともと神から重要な使命を受けていた天使であったが、「自己の力と心を過信し、宇宙を我力で支配できるとうぬぼれた」そして「ついにルシファーは神の本源に反逆を企て、神からの霊感を失った」としている(同書、P.19)。

 東京大学の池内紀教授は、悪魔の位階について一七世紀の修道女が悪魔憑きの発作の中で見た体験報告をあげて、「ルシファーが第一位、第二位がベルゼブス、第三位レウ゛ィアタン。二十四の悪霊が一筋につながって彼女の口から体内に入り、下の方からでていったという」と述べておられる。(『悪魔の話』P.50)
 更に、霊能者でもあられる幸福の科学の大川隆法氏によると、七大天使は始め、ミカ、ガブリ、ラファ、サリ、ウリ、ラグ、ルシ達であったが、エデンの園を地上につくった功績から「神の光」という意味の「エル」という称号をもらい、それ以後ミカエル、ガブリエル、…等と名乗るようになったという。そして、その中のルシフェルが地位、名誉、物質欲、肉欲におぼれて堕落したという(『太陽の法』P.44)。

 「エル」という語尾が天使を示すことは事実である。もともと天使という存在は、人間に神からのメッセージを伝えるなど、人間の僕として創造されたものである。たとえば、イエスの母マリヤが妊娠した時、ガブリエルという天使はそれについての神をメッセージを忠実に伝え、天使としての役割を果たしているのだ。
 それではなにゆえに天使ルーシェルは悪魔に変貌したのだろうか。それについて、統一原理の立場から少々解説させていただきたい。

●ルーシェルはなぜサタンとなったか

 神がアダムとエバを創造した時、もちろん他の動物なども存在したのであるが、その当時すでに霊界には多数の天使たちが存在しており、その天使世界を代表する者として「三天使」が存在していたとされる。つまり、ルーシェルミカエルガブリエルである。

 地上世界の動物には人間の「霊人体」に相当するものがなく、天使には人間の「肉体」に相当するものがない。それに対して人間は霊肉複合の存在であり、人間のみが霊界と地上界の実質的な仲介者となって全宇宙、全存在を円満に交流させることのできる中心的存在となるように創られていたのである。

 天使は動物とは異なり、かなり高度な精神的機能を持っている。もちろん、人間と対話することもできる。特に3天使については、それぞれ知、情、意の側面から人間の精神的活動をサポートする役割をもっていたとされる。

 「イザヤ書」によれば、その3天使の中のルーシェルは「明けの明星(金星)」と呼ばれたほど、光り輝く天使の中でも頂点に位置していたという(「イザヤ」14:12 )。したがって、ルーシェルは神が人間を創造するまでの間、天使世界のトップ(天使長)として宇宙の最高の位置を誇っていた事になる。その期間は何百億年か何千億年だか想像もつかない。

 カリフォルニア大学教授の歴史学者J.B.ラッセル博士によると、中世の演劇などでも「…神は九階級の天使をつくり、最高の階級の最高位の天使、栄光において神自身に次ぐものとして、ルシフェルを創造した」(大瀧啓裕訳『悪魔の系譜』P.234 )そしてまた「ルシフェルとサタンが区別されるとき、ルシフェルはたいてい最高の座を占める。それこそ悪魔が堕天する前にもっていた名前だからである」(同書、P.236 )と説明しておられる。

 そこに誕生した人間アダムとエバ。神の息子であり娘である。もしも人間が成長し完成すれば、宇宙の中心存在となることはルーシェルも知的に理解している。そこで、人間が誕生しようとした時、それまでの長期間にわたって延々と栄光の天使長の座についていたルーシェルの心の中に次のような意識が生じたであろうことは容易に想像される(なぜかというと、天使の精神的機能は現在の人間の心的機能と非常に類似しているからだ)。

 すなわち、ルーシェルは考えた。「俺はどうなるのだ?今まで全天使が俺に頭を下げていたのに、今度はこの俺があのアダムに頭をさげることになるのか?」。そう考えると、ルーシェルは譬えようもなく淋しく、悲しい気持ちになった。その気持ちを誰かにわかってほしいと何度も思ったにちがいない。

 本当は、そのルーシェルの気持ちを心底から理解しなければならないのはアダムとエバ自身であったのだ。なぜならそれは、将来の宇宙の主人となる者として当然要求される愛の人格でなければならないからだ。しかし、人間の愛が深まり人格が成長するには期間が必要なのである。まだ成熟していない幼少の人間に比べれば、天使のほうが精神機能においてレベルが上になっている期間もある。

 ルーシェルは将来宇宙の主人となるアダムの立場に嫉妬するようになっていった。ひそかに彼は、アダムの立場を乗っ取ろうと決意する。しかしアダムが「命の木」として完成してしまったら大変だ。その前に何とかその位置を奪わなければ間に合わない。

 彼は神の計画をよく知っていた。神はアダムが「命の木」として完成したら「善悪を知る木」(エバ)との結婚を通して実を結び、地上に神の子が繁殖することを願っていた。その神の計画が実現するのもしないのも、アダムとエバの間に神から流れる「真の愛」が育つか否かにかかっていたのである。そして、人類の歴史が善の実を結んで出発するか、悪の実を結んで出発するかは、ひとえにエバの聖なる体(母胎)に秘密があったのだ。人間の体は本来神殿である。エバの体は将来神の子を宿すために、アダムと結ばれるまで聖別しなければならない神聖な宮殿ともいうべきものなのである。人類史の善悪を決定する鍵がエバの聖体にかかっていたからこそ、エバは「善悪を知る木」と名付けられていたのだ。

 それゆえに、ルーシェルはエバの体を狙ったのである。実際、エバは全宇宙の最後に創造されたものであり、神の天地創造の過程を全て観察してきたルーシェルにとってエバの体は最も新鮮で美しく刺激的なものであったに違いない。
 ルーシェルは考えた。「アダムの奴がエバの夫になる前に、俺がエバと性的関係を結んで夫になってしまえばいいんだ。そうすればアダムの立場はなくなってしまうだろう。もしもアダムがあとからエバとの間に子供をもうけても、俺のほうが先にエバの夫になったのであるから、宇宙の主人としての権限は俺に帰属することになる」と。

 彼は、エバに近寄って誘惑する戦略に出た。最初は理性を働かせていたエバも、神の天地創造を全て見てきた「老賢者」ともいうべきルーシェル天使長の知的な姿に心を引かれ、まだ知らぬ愛の世界への興味が次第に大きくなっていった。あるいは、そこにルーシェルのアダムに対する嫉妬心の影にエバは気づき始めていたのかもしれない。栄光の誉れ高い天使長の姿の裏に秘められた、やるせなく淋しい心情を、将来人類の母となるべきエバに芽生え始めていた一種の母性本能が間違った形で反応してしまったのかもしれない。

 ともあれ、ついにエバは押さえがたい情的な力によって自分を見失い、完全にルーシェルの手の中に落ちていったのだ。その結果、神への反逆を狙っていたルーシェルは、無知なエバに肉欲的で淫乱な愛の行為を教え込み、エバを性的に堕落させる事に成功した。ここに宇宙最高の神秘に満ちたエバの聖体は無惨に汚されたのだ。

 肉欲的な愛の関係から醒めたエバは、その一瞬の出来事を悔やんだ。その時こそ自分の相手が絶対にアダムでなければならなかったのだと、はっきり悟った。彼女は自分のした事に恐怖を感じた。その時、頼りになるのはアダムだけだった。今からでもアダムと愛の関係を結べばやり直しができるかもしれないなどと考えた。エバは神の計画に背いたことへの恐怖心から逃れたいという思いをどうする事もできず、アダムに身を寄せる。その動機は神のもとに立ち帰りたいという一念であったが、エバは不安と恐怖によって混乱し焦っていた。

 この時、アダムが賢明にエバの罪を悟ることができれば良かったのであるが、実際には未知の世界で自分より先に性的に熟してしまったエバの姿に触れ、理性の力を越えた性衝動をコントロールすることが困難になってしまった。そこでアダム自身も「生命の木」を完成する前にエバと性的関係を結んで堕落する事となってしまったのである。
 アダムとエバの子孫である我々全人類が心の奥底に秘めている「性衝動」の根源的構造、うしろめたさ等は、全てここに人類史的な原点を持つのである。

 ●「イチジクの葉」の秘密

 アダムとエバは、真の愛を育てる聖なる期間を破って、サタンの愛の力に支配されてしまったのだ。性というものは本来汚いものでも恥ずべきものでもない。むしろ真の愛の完成にとって最も神聖なものだというべきである。しかし、ここに偽りの愛によって性というイメージが人間始祖の時点からゆがんだ形で刻印されたのである。

 二人はイチジクの葉で腰(恥部)を隠した。イチジクは「無花果」と書く。それは花を咲かせる前に実を結んでしまうからだ。アダムとエバは、真の愛という花を咲かせる前に(人格を完成させる前に)その実を取って食べ、偽りの愛の関係を結んでしまったので、その秘密を知らせる暗号メッセージとしてイチジクの葉が象徴的に聖書で使用されているのである。

 フロイトが人間の根源に性衝動が存在すると指摘する内容も、太古における人類の原初的体験に触れてはじめてその構造が解明されるのである。また、ユングが到達した神話解釈に関しても、神話の中の神話ともいうべき創世記の解釈が原点とされるべきなのだ。
 私は心理学の研究が、今後更に人類史の太古から根付いてきた超最深層の部分を対象とされるよう期待している。