3.神の選民イスラエルの出発

 ●メシヤはセムの子孫から誕生する


 ここまでの話をちょっとまとめてみよう。神の権能を相続する予定だった神の長男アダムがその完成型である「命の木」に到達していれば、彼は神の愛を体得した神の国の王(メシヤ)として立つことができたはずであった。しかし、そのアダム位置をサタン(ルーシェル)が奪ってしまったために長男の相続権をサタンに握られ、どうしても家長の相続権のない次男の立場からサタンを説き伏せる方法しか方法がなくなったのである。

 それゆえにサタンはアダムの家庭の次男であるアベルを殺す作戦に出たし、ノアの家庭でも次男のハムの心にサタンが侵入して父ノアを蹂躙するという動きを見せたのである。ただ、ここで注意すべき事は、アベルを殺したのは長男カインであるからそれはカインの犯罪であるが、ノアに対して罪を犯したのは次男ハムなのだ。つまり、アダムの時は摂理を妨害したのは長男であるが、ノアの時は次男なのであった。
 それゆえにノアは次男ハムの子孫を呪い、サタンが執着し密接にフォローしている長男セムの子孫を「セムの神、主はほむべきかな」という祝祷(祝福の祈り)を与えざるをえなかったのである。すなわち、ハムが罪に陥った瞬間、「命の木」として来たるべき神の子(メシヤ)は、セムの系列から誕生することが決定していたのである。

 そして、アダムからノアまでの10代をかけた摂理がやり直される事になったので、今度はノアの祝福を受けた長男セムから10代目のアブラハムによって、始めて次の摂理が再出発するのである。そして、その摂理こそイスラエルという「選民編成」の計画が実行される重要なものだったのだ。

 ●アブラハムはなぜ息子イサクを献祭したか

 アブラハムは「信仰の父」と言われるほど神に対する忠誠心をもつ、聖書の中でもきわだった信仰者である。「創世記」第22章によると、神がアブラハムに対して「あなたの息子イサクを祭物(供え物)としてささげなさい」と言ったのに対して、普通ならば「どうして私が息子を殺さなきゃいけないのだ」と憤り、その理不尽な命令を下した神を呪っても不思議ではないが、彼は神の命ずるままにイサクを縛り、自らの手で切り裂こうとしたのだ。だが、このアブラハムの行動を単に常識的に判断してはならない。そこには旧約時代の信仰者にしか通じない、人知をはるかに超えた壮絶な姿があったのだ。哲学者キェルケゴールは人間の実存のあり方として独自の弁証法的三段階の観点から、このアブラハムの行為を最高次元の宗教的実存の段階として評価した。

 しかし、この物語は「アブラハムのイサク献祭」として有名だが、決してアブラハムだけが讃えられる話ではない。なぜならその時、息子であるイサクも自分が神に捧げられる供え物となることを予知し、死を覚悟していたからだ。イサクは燔祭のためのたきぎを背負いながら父アブラハムと一緒に山に向かったが、山に登る途中で父アブラハムに質問している。「火とたきぎはあるのに、燔祭に捧げる羊はどこにあるのですか」と。アブラハムはその質問に対して明確には答えず、「神様ご自身が羊を備えてくれるだろう」と言うのみだったという。息子イサクは山にたどり着くまでの3日間、言葉少ない深刻な父の表情を察しながら、子供ながらに自分の死を悟ったに違いない。それにもかかわらず、死をも恐れずにそこに「神の摂理」を感じ取ったイサクの信仰こそ注目されるべきなのだ。

 山に着いた時、父アブラハムはイサクを縛り始めた。たきぎを背負うほどの年齢のイサクがその行為の意味を理解しなかったはずはない。いや、むしろその時には既に父と共にイサクは不動の決意を固めていたのだろう。無言で進められる、父と子の厳粛で壮烈な儀式。そこには神への疑念など微塵も感じられない。
 父アブラハムは、手に持った刃物をイサクに向けて振りかざした。と同時に天使が現れて、「汝、そのわらべに手をつくるなかれ」という神からの中断命令を伝える。そして気がついて見ると、やぶに角をひっかけて動けなくなっている羊がいるではないか。アブラハムは驚いた。図らずも、自分が息子に語った「神ご自身が羊を備えてくれるだろう」という言葉が成就したのだ。アブラハムは、その羊をイサクの代わりに捧げた。

 ところで、なにゆえに神はアブラハムに「息子を捧げよ」といったのだろうか。その問題に関しては議論すべき事が多いのだが、ここでは父アブラハムと息子イサクの立場において、10代前の父ノアと息子ハム(次男)の立場が呪いの関係となってしまった立場をやり直し、父と子の関係が生死をも超えて完全に一体化しなければならない摂理的理由があったことを指摘するに留めておこう。実は、アブラハムにはハガルという奴隷女との間にイシマエルという子がいた。したがって、腹違いではあるがイシマエル(長男)とイサク(次男)は兄弟なのであり、そういう意味でイサクはノアの次男ハムと同じ立場に立っていたのである。

 ハムは信仰者であった父ノアの裸の姿を蹂躙したため、霊的には「第2アダム」としてのノアという存在を殺してしまったも同然であった。その不信仰なハムの罪を清算し、やり直して人類史を再出発するには、ハムの立場に立っていたイサクとしては、反対に父から殺されるような試練を受けても父と共に信仰で乗り越える必要があったのである。
 だからこそ、その試練を見事にクリアーしたイサクを肉体的に殺す必要など全くなくなったので、神は善なる天使に命じてその行為を中断させたのである。

 ●ヤコブとエサウの闘争と和解

 さて、アブラハムとイサクの神に対する深い信仰は、イサクの次男ヤコブに受け継がれていく。このヤコブこそイスラエル選民ユダヤ)の先祖となった人物である。ヤコブが「イスラエル」という勝利者の称号を得て、選民の先頭に立つに至ったいきさつを見てみよう。そうすれば、なぜユダヤの血統上にメシヤが誕生するのかという根拠が解明できるであろう。

 「創世記」の第25章からヤコブとその兄エサウの物語が始まる。この二人は双生児であったが、面白いことに母胎の内にいた頃から喧嘩するほど仲が悪かったらしい。母はリベカという人で聖書の中でも指折りの賢い女性である。出産の時、全身が毛におおわれた兄エサウが出てきたのだが、何とそのエサウのかかとをつかんだまま弟ヤコブが出てきたという。壮烈なタックル状態の出産である。

 実は、出産前にリベカの胎内で二人があまりにも激しく喧嘩をするので神に祈り尋ねたところ、神は次のように答えたという。

 「二つの国民があなたの胎内にあり、
  二つの民があなたの腹から別れて出る。
  一つの民は他の民よりも強く、
  兄は弟に仕えるであろう。
」 (「創世記」25:23 )

 つまり、その兄弟喧嘩は最終的に弟が勝ち、弟から生じる民族に兄のほうが屈伏するという予告がなされたというのである。リベカはこの神の言葉を信じ、生まれてくる双子の内の弟こそ神の摂理を担う人物だという確信をもったのであった。実にこの母は生まれる自分の子供の顔を見る前から弟の方に期待を寄せたのだ。実際リベカはエサウよりもヤコブを愛したと聖書に記されている。

 これはどういう事だろうか。賢明な読者は、すでにアダムの時のカインとアベルの話を想像しておられるであろう。アダムの家庭の長男カインはどういうわけか生まれながらにして愛されず、嫉妬心が生じるような立場に立っていたが、ヤコブの家庭の長男エサウも同様に、どういうわけか生まれながらにして愛を受けられないような理不尽な立場に立っていたのだ。つまり、自分の悲しい運命を訴えざるを得ないルーシェルのような立場に立っているのである。そして、アダムの家庭の場合は長男カインがその立場を克服できずに弟アベルを殺してしまったのだが、ヤコブの家庭においてはそれを逆転させてクリアしなければならないのだ。

 別な言い方をすれば、そのような理不尽な立場が歴史上未清算のまま残っているからこそ、サタンは自らの存在、自らの権利を主張し、人間に対して攻撃する根拠をもつのである。そして、そのような悲しい立場の者が、心から頭を下げて屈伏しうるほどの神の愛を示しうる者となってこそ「人間」としての位置に立ちうる勝利者の位置を復帰できるのだ。

 もちろん、元はと言えば、本来は人類始祖アダムこそルーシェル天使長の心を理解しなければならなかったのである。そのようにして初めてアダムは「天使に勝る存在」、「天使をも治める主人」、そして宇宙の中心となったはずなのだ。このことは、これから述べるヤコブの勝利内容に深くかかわってくる。

 聖書の話はこうである。長男エサウは生まれた時から毛むくじゃらの体で、狩猟を好むたくましい男となった。が、人情家でもあった。父イサクはエサウが狩猟から持ち帰ってくるシカの肉が好きだったという。やがて父イサクはもう年老いて、目が見えなくなっていた。そして、そろそろ跡継ぎを決めて祝福しようという頃になった。
 ある日、父イサクは当然のこととして長男エサウを呼んで、家督の相続の話をした。「私はもう、いつ死ぬかもしれない。エサウよ、私の好きなシカの肉を取ってきて食べさせてくれ。そうしたら後継ぎとして神の前で祝福しよう」と。

 エサウは喜んで狩猟に出かけたのだが、その話をこっそり聞いていた母リベカは、弟のヤコブを呼んで、共同作戦を立てる。リベカは言った、「うちのヤギを連れてきなさい。私がシカみたいな味付けをしてごまかします。それを父のところへ行って食べさせてあげなさい。そうしたらあなたが後継ぎになれる」というのだ。リベカは弟ヤコブのほうを愛していたので、目が見えなくなっている夫をだまして、本来は長男エサウに家督相続権が渡るところを弟ヤコブに渡そうとしたのである。

 ただ、ヤコブはエサウと違って気の小さい所があったので、「でも父が私に触ったら、バレてしまいます。兄は毛むくじゃらですから。もしもバレたら祝福どころか呪いを受けてしまいます」といって戸惑った。しかし、母リベカはやはり出産前の神の言葉が成就する事を予感していたのだろう。ヤコブに対して「あなたが受ける呪いは、私が受けます。ただ私の言う通りにしなさい」といって断然腹がすわっているのだ。
 リベカは兄エサウの晴れ着をもってきてヤコブに着せ、その上ヤギの皮をヤコブの手や首につけて準備OK、毛むくじゃら兄エサウのできあがり。それにしても、よっぽどエサウという人は毛深かったのだろう。

 とにかく急がないとエサウが狩猟から帰って来てしまう。かといって、あまり早くシカの肉(実はヤギ)を父に差し出すとかえって不自然になってしまう。難しいタイミングの計算をしつつ、ヤコブは父にその肉をもっていった。父イサクは「ずいぶん早かったな」などと言いながら、目の不自由なイサクはその子がエサウである事を確かめるために手に触ったりした。「声はヤコブなのに、手はエサウだ」などとぶつぶつ言っている。

 ここで父イサクがヤコブに対して「あなたは確かにわが子エサウか」とわざわざ念を押すかのようにヤコブに問うている事は注目されるべきである。これは実は、父イサク自身も後継ぎを心の中で密かにヤコブと決めていたもので、その家督権を相続する決意が本当にヤコブ自身にあるか否かを返事の声の色でさぐったものだとする説もある。何となく、私もそんな気がする。

 ともかくヤコブは父から祝福を受け、後継ぎとなったのだ。しかし、その直後に狩猟から帰ってきたエサウのくやしい思いは、まさに張り裂けんばかりであった。こんな理不尽が世の中にあってたまるか!というものである。
 エサウは弟ヤコブを殺そうと決意した。が、彼は人情家でもあり、父が生きている内に家庭内殺人事件を起こしたら、きっと父が悲しむに違いないと考えればどうしても弟を殺すことはできなかった。そこで「父が死んだら必ずヤコブを殺す」と彼は心に決めた。

 母リベカは、ヤコブの身に危険を感じて自分の兄ラバンという人にヤコブを預ける。ヤコブから見れば叔父に当たる人だが、実はこのラバンという人物が非常に意地悪な性格の人で、ヤコブはさんざん苦労する。何度も何度も叔父ラバンから騙されるのだ。ラバンのもとで21年間生活したが、ヤコブの非常に偉いところはラバンからのいじめを受けても一切の恨みを持たなかったことである。

 ヤコブはラバンの所で働いているうちに、だんだん兄エサウのようにたくましくなっていった。また、ラバンからひどく騙され、それに耐えることを通して、祝福を騙し取られた兄エサウがどれほどにつらかっただろうと、エサウの気持ちを十分に理解しうる心を持つようになっていったのだ。
 やがて21年が過ぎて、ヤコブは兄エサウに会いに行く。この場面は聖書の中でも、特別に輝いている。兄エサウは、今こそあの憎いヤコブを殺そうとして400人の軍勢を率いて待ち構えている。それに対するヤコブはどうだろう。何の武器もない。家畜やしもべなどの財産と家族だけだ。

 ヤコブは、もはや兄と喧嘩する気持ちなど全くない。それどころか、21年間の苦労を通して兄エサウがいとおしくてたまらない気持ちになっている。ヤコブにとって、どうしたらこの自分の気持ちを兄にわかってもらえるかという事だけが問題だった。ヤコブは兄に対する愛を分かってもらうためにあらゆる知恵をしぼった。ヤコブはありったけの贈り物をエサウに差し向けて進み、しもべ達にも言い聞かせてエサウに対し最高の礼を示させた。

 すると心情というものは通じるものである。兄エサウは、そのヤコブの姿を見て次第にそのやさしい気持ちが心の奥に伝わり、やがて完全に憎しみの心が転換してしまったのだ。人間は心底から自分の心を理解してくれる者を見た時、時空を超えて共鳴するようだ。心身共にたくましくなった弟ヤコブ、驚くほどの財産をたずさえて悠々と歩く弟ヤコブ、見よ、その謙虚で崇高な人格! 何と、その堂々たる弟ヤコブは兄エサウに向かって地にひれ伏して7たびの最敬礼をしたのだ。あれが俺の弟か、立派になったなあ…。その時、エサウは武器をもって構えている自分の方がずっと小さい人間に見えた。もう、体が止まらず、エサウは走って、走って、弟ヤコブに抱きついてお互いにオイオイ大声で泣いた。

●「イスラエル」となったヤコブ

 少々長くなることを承知でヤコブとエサウの話をたどってきた。それは、ヤコブが摂理的に見て、天使長ルーシェルの立場に立つ相手を真の愛で屈伏させた、人類歴史上最初の人物であるからだ。
 実は、聖書によるとヤコブが兄エサウに会う前に、不思議な体験をする。夜中にヨルダン川の支流であるヤボク川を渡って越境する時、ヤコブは天使と霊的な格闘をするのである。ヤコブは命がけで天使をつかみ、天使から腰のつがいをはずされても絶対に相手を離さなかった。すると、ついにその天使はヤコブに対して「あなたはもはや、名をヤコブといわずにイスラエルと言いなさい」といって、ヤコブの勝利を認めたという。この出来事が、イスラエルの起源であり、彼こそユダヤ民族の祖先となったのだ。
 これは何を意味しているのだろうか。「イスラエル」の語源は必ずしも明確ではないが、一般には「神と争う(者)」という意味をもつとされる(米倉充博士『創世記・旧約聖書入門』P.203 )。しかし、もしも「エル」が天使を示す語尾だと解釈すれば、「イスラ」という語意に「治める」「従わせる」という内容を認めて、「天使を治める者」という解釈も成り立つのではないかと思う。
 それは、特に言語学上の議論をしようというのではなく、ヤコブの勝利の内容自体を問題とした場合、その勝利の称号である「イスラエル」の原義がどうしても天使を治めるという内容を含んでいるはずではないか、と私が思うだけのことである。
 もしも「イスラエル」の原義に「天使を治める者」という意味が含まれていると解釈すれば、そもそも人間始祖アダムこそが天使に支配されずに(堕落せずに)「イスラエル」とならねばならなかったと表現する事もできるのである。

 山形孝夫教授は『聖書の奇跡物語』の中で、ここでヤコブと戦った者はヤハウェ(神)の使い(天使)ではありえないと言われる。「なぜかというと、ヤハウェの使いであれば、当然ヤコブに味方するわけですから、その味方すべき神の使いが、ヤコブにとっていちばん危険な越境の時に、闘いを挑んで、しかも腰の番をはずしてしまうなんてことはありえないからです」と述べておられる(同書、P.54〜55)。そして、その者の正体は実はカナンの地の所有者が不法侵入してきたヤコブと争ってついに越境を許可した者の事であるとするペデルセンという学者の説を支持されている。
 確かに、もしもヤコブが格闘した相手の天使が天からの善なる使いであれば、ヤコブのゆく道を邪魔するはずがないという教授の見解は全くもっともであると思われる。しかし、考えようによっては教授が「ヤハウェの使いであれば味方するはず」といわれる通り、ある意味でこの天使はヤコブの「味方」をしたのである。なぜならこの天使がいなかったらヤコブが「イスラエル」となる事はなかったからである。
 そう解釈すれば、むしろこの天使は決して「河の精」だの「土地の所有者」だのというローカルな田舎天使ではありえない。ヤコブに現われた天使こそ、選民決定にかかわる重要な摂理的使命をもつ創造主(唯一神)直轄の天使でなければならないと考えられるのだ。

 さて、ともかくヤコブはイスラエルとなった。それは、彼が兄エサウの立場に完全に霊的な共鳴をなしていたサタンの心をもひるがえらせたからである。それはハムもアベルも、そしてアダム自身もできなかった偉業だったのだ。だからこそ聖書に長い物語として記録されているのであり、イスラエルの先祖となるにふさわしい勝利だったのだ。
 しかし、彼自身がメシヤとなったのではない。メシヤはあくまでも「神の子」であり、生まれながらに原罪を持たない「第二のアダム」として誕生する者でなければならないのである。そしてメシヤは、当然ヤコブの子孫から生まれることが決定したのである。

●メシヤが誕生するための条件

 人類史上初めて、イスラエル(旧ヤコブ)という勝利者が出現した。しかし、メシヤはすぐにそこに誕生したわけではない。これはなぜであろうか。その理由は、ノアの時代などとは状況が異なっているからである。もしも洪水直後のノアの時に、ヤコブのような勝利をなす者が現われれば、その頃はまだノアの家族以外には対抗相手となる家族や民族が存在しなかったわけであるから、サタンに邪魔されずに「生命の木」を完成すべき無原罪の「第二のアダム」が誕生して神の子を繁殖し、神の王国を作る事ができたであろう。しかし、ノアから四〇〇年も経過したヤコブの時代には、全く事情が違うのだ。

 つまり、たとえヤコブの家庭に神の子が誕生しても、回りの民族はすでにイスラエルの神を信じない異教徒でウヨウヨしているのだ。サタンというものは、たとえヤコブの個人的勝利を認めても、それで簡単にメシヤの誕生を容認するほど根の浅い存在ではないのだ。つまり、ヤコブの勝利によって個人的、あるいは家庭的なサタン不可侵圏の聖域が確立したとしても、それ以上の大きい民族的基盤をサタンの側が握っている限りメシヤが誕生する条件は満たされていないのだ。実際、当時ヤコブの子供にすぐメシヤが誕生したが、おそらく即座に回りの異教徒によって殺されていたであろう。
 ヤコブすなわちイスラエルは、もはやヤコブの個人名であってはならないのだ。はやく「イスラエル民族」として拡大し、サタン側の民族に対抗しうる強烈な神側の選民を構築する必要があるのだ。そしてメシヤが誕生してもサタンから断固として守りうる基盤が確立した時が、メシヤ誕生の条件が満ちる「受胎告知」の日となるのである。

●イスラエルを民族基盤に拡大したモーセ

 では、実際にイスラエルをたくましい民族に育て上げたのは誰であったかといえば、それがあのモーセなのである。ヤコブの子孫は故郷であるカナン地方を離れてエジプトに移住するようになった。そして、異国エジプトの中で彼らは次第に民族基盤を拡大していく。エジプトの中では彼らは「ヘブル人」と呼ばれた。それは「流れ者」というような、あまりいいイメージの言葉ではない。ニックネームのようなものだったのかもしれない。

 そして、エジプトの中でイスラエルが徐々に拡大するにしたがって、次第に国からも無視できない存在となり、エジプト人から多くの迫害を受けるようになった。エジプト人から見れば、彼らヘブル人は重要な奴隷(労働力)であるから手放すわけにはいかないが、そうかといって、あまり増えすぎるとエジプト王国にとって脅威的存在となる。

 だから、モーセが誕生する頃は、ヘブル人に男の赤ん坊が生まれたらナイル川に投げ込んで殺すように、という殺人的法令がまかり通っていた。そんな状況の中でモーセは生まれた。だからモーセが誕生した時、モーセの姉ミリアムは生まれて間もない弟モーセを、パピルスで編んだ小舟に乗せてナイル川に浮かべ、悲しみにくれながら死にゆかんとするその姿を遠くからじっと見守っていたのである。
 ところが、奇跡が起きた。そこへエジプト王(パロ)の娘が身を洗いに来て、かわいいモーセが気に入ってしまい、自分の子にしようとして川からモーセを引き出してくれたのである。そこに、タイミングよく「待ってました」とばかりに姉ミリアムが顔を出し、「私がいい乳母をご紹介しましょう」といって実の母親を紹介したのだ。したがってモーセは実の母を乳母として、ちゃっかりエジプトの宮中で育てられるという魔訶不思議な人生を出発したのだ。モーセという名前は「引き出す」という意味であり、王女が川から引き出した事にちなんで付けられたものである。

 しかし、モーセはエジプト宮中で育ちながらも母から徹底して受けた選民思想教育によって選民イスラエルとしての強烈な自覚を持つようになっていった。そのモーセの選民意識に火を付けるような事件が起きた。モーセが40歳の時である。
 ある日、エジプト人から残酷に痛めつけられている選民ヘブル人を見てモーセは非常に憤慨し、抑えがたい選民としての同胞心からそのエジプト人を殺して砂に埋めたのだ。しかし「イスラエル同胞」といってもモーセはあくまでもエジプト王宮の人であり、当時エジプトの奴隷だったヘブル人がモーセの行為を見て「同胞」を救ってくれる指導者として受け入れることは困難だった。

 モーセとしてはエジプト人を殺して同胞を救ったつもりだったが、選民たちはモーセを誤解した。彼らが言いふらしてしてその事件が発覚し、結局モーセは殺人の指命手配犯人のような立場に追いやられてエジプトにはいられなくなった。結局モーセは国外に亡命し、砂漠での遊牧生活者に変身して40年を過ごすことになった。何の不自由もない豪華な宮中生活から一転して遊牧民となったのだ。これもまた魔訶不思議な人生であろう。しかし彼の砂漠での自給自足の生活経験は、のちに神から受けた使命を果たす上で非常に役に立つ事となった。

 80歳になったモーセは、シナイ山で「私は存在する」(在りて在る者)というめずらしい名前の神に出会う。神はモーセに言った。「もう一度、エジプトに行って迫害に泣いている私の選民を連れ出し、イスラエルの故郷(カナン)まで戻ってきてほしい」というのだ。モーセは何といっても80歳である。その大役を何度も断ろうとするが、結局神に説き伏せられた形となり、またエジプトに戻って選民救出作戦を決行するのである。川から「引き出された」モーセは、今度はエジプトから奴隷状態のイスラエル民族を「引き出す」者となったのだ。

 モーセはエジプトからの大脱出計画を実行するに当たって様々な魔術を使って奇跡を見せた。紅海を渡ってエジプトからシナイ半島に出る時も、モーセの不思議な杖で海が真っ二つに別れた。映画『十戒』でご覧になった方も多いだろう。海が二つに割れるような奇跡を科学的に裏づける事は困難であるが、たとえば竹内均博士は、この現象はサントリニ島の爆発が原因で起きた大津波によって説明できるとされる(『地球物理学者竹内均の旧約聖書』P.91〜92)。
 また、韓国の全羅南道の珍島茅島との間の海は、毎年決まった時期になると突然海底の砂丘が現われ、島と島の約2.8キロの間が幅30メートルほどの道で陸続きになる事で有名であり、地元では「モーセの島」と呼ばれている。自然には不思議な現象がいくらでもある。

 しかし、いくら奇跡を見せられても、当時のイスラエル選民はモーセに素直に従ったわけではない。「選民」とはいえ、400年間も奴隷生活が続いたためにもう民族的には根性が無くなっていたのだ。奴隷なら自由はないが、一応パンは保証される。しかし脱出すれば、自由の身にはなれるがパンがない。そこでモーセに恨み言をいう。それの繰り返しである。モーセ自身、いい加減いやになってくる。そういう状況の中で、すったもんだがありながらも彼は強烈な選民意識を鼓舞しながら民族を訓練し統制し、ようやく故郷カナンの地に戻ってくるのである。

 ともかく、モーセのおかげでどれほどイスラエルは神の選民らしく、たくましく成長したか測り知れない。モーセは、ヤコブが個人的にイスラエルとして勝利したレベルを民族レベルにグレードアップさせ、民族全体において「神の選民」としての強烈な自覚(信仰)を持つ基準にまで到達せしめたという点において大きな功績をもっているというべきなのである。