5.聖書と日本人の将来

 ここまで聖書などを材料にして話が進められてきた。もしもあなたが日本文化に染まっておられる方であるとすれば、中には少し抵抗のある人もおられたかと思う。しかし、世界に出れば聖書の内容などはごく常識なのである。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教など全て聖書がその信仰の根本となっている。欧米の先進主要国家はたいていキリスト教信仰が根底に流れているし、ロシアなどでさえ、民衆の信仰はキリスト教(ロシア正教)である。隣の韓国も強いキリスト教信仰が根づいている。

 私は日本人として、本当に日本の思想的あるいは宗教的な風土の乏しさを痛感する。確かに日本には宗教団体が多い。「宗教人口」は日本の全人口を上回って2億人を越えるとも言われている。しかし、その事実は裏を返せば、日本人がいかに宗教というものをうわべで扱う民族であるかを端的に示しているようにも解釈できるのだ。

 日本は歴史的に鎖国状態が長く続いた国である。しかし、ある意味では現在も鎖国は目に見えない形で続いているのではないだろうか。それは「思想的鎖国」ともいうべき、閉鎖性の問題である。
 日本は今後世界の中でますます思想的なアイデンティティを問われるだろう。日本の政治家やリーダーもそうだが、我々一般の民衆自身の手で、もっと「思想的に豊かな国」にする努力を重ねなければ日本は真の文化国家にならないと思うのだ。私は本書を通して、日本人が様々な問題について深い思想性をもって、お互いがあちこちでコーヒーでも飲みながら紳士的に、優雅に、正確に、真剣に議論しあう民族になれるようにと念願している。

 聖書の話が出てきて読みにくいところもあるかもしれないが、聖書の壁を突破しない限り日本の精神的な鎖国は終わらないし、人類史を本格的に解明する事も不可能なのだ。言葉の足りないところも多いかもしれないが、ささやかな試みなのでどうか最後までつき合っていただきたい。