2.「第二のアダム」になれなかったノア

●ノアの箱舟は実際にあったのか

 人間始祖がエデンの園を追放され、地方に分散しながら次第に人数も殖えていったが、やはり本来の人間の姿である「生命の木」を完成していないので、「神の子」などとは似ても似つかぬ心を持つ人間が生み殖えてしまった。
 聖書によると、当時の人間について「主は人の悪が地にはびこり、すべてその心に思いはかることが、いつも悪い事ばかりであるのを見られた」(『創世記』6:5 )、また「時に世は神の前に乱れて、暴虐が地に満ちた」(同、6:11)とある。しかもルーシェル天使長とエバとの淫行以降においても天使達と人間との淫行が横行し、天使達が「人の娘たちの美しいのを見て、自分の好む者を妻にめとった」(同、6:2 )と記されている。

 天使達と人間との淫行については、アダムから七代目の聖人エノク(ノアの曽祖父)が書いたとされる『エノク書』という旧約偽典(聖書編纂過程で正典から除外された書物)に詳述されており、それによると天使達との淫行を通して人間が彼らの魔術呪術を覚え、地上を殺人と暴虐の世界にした事が書かれている。
 そして神は当時唯一の信仰者であったノア(アダムから十代目)に対して、大洪水を起こして天地創造をやり直す計画を告白する。神はノアに箱舟の作り方から、その中に入れる動物の種類まで細かく指定した。ノアは神から命じられた通り、長い年月をかけて箱舟を作った。しかし当時の人々はノアの言葉には耳を傾けず、山の頂上に舟を作るノアをあざけり笑い、狂人扱いしたのである。やがて神の予告通りに40日間の大洪水が起きて、ノアの家族以外の全ての生き物は絶滅した

 ところで、このような事は歴史上実際に起こったのだろうか。実は、大洪水が過去に起こったであろうと思われる根拠として、聖書のみならず、たとえば古代オリエント最大の叙事詩といわれる「ギルガメッシュ叙事詩」という十二枚の粘土板の十一枚目にノアの洪水物語に酷似した内容が記されているという事実をあげることができる。その事実は1872年に大英博物館員のジョージ・スミス氏が発見したもので、当時イギリスで大いに話題となった。またその他にも、コーランを始めインドやギリシャ、中国、アメリカ等ほとんど全世界的規模で同様の洪水伝説が残っている事からも、その事実性は認められるべきである。

 また、ノアが洪水後に漂着したとされているアララト山(現トルコ領)からフェルナン・ナヴァラ氏が持ち帰った木材破片であるホワイトオークはアララト山周辺1000キロ以内には存在しないという事実が科学鑑定で判明し、それが実際に当時使われた箱舟の資材である可能性が高いとされている。
 構造地形学者である金子史朗博士によると、ノアが住んでいた地方のシュルッパクの町には洪水層が認められ、考古学者の調査では洪水層の下に彩色土器その他の生活用具が散乱している様子から「人々があわただしく家を捨て、創皇と逃げのびた気配が、感じとられる」と述べておられる(『ノアの大洪水』P.47)。そしてその年代は紀元前2800年頃と推定されるという。
 この紀元前2800年頃の大洪水の原因について、地球物理学者の竹内均博士は「そのころは現在より気温が高かった。したがってそのころは北上した赤道収束帯が、この地域に雨をもたらしたはすである。紀元前2800年の大洪水は、この赤道収束帯の前線がこのあたりにもたらした大豪雨によるものである」(『地球物理学者竹内均の旧約聖書』P.19)と述べておられる。
 また私が非常に興味深く思うのは、元宇宙飛行士のアーウィン氏が、宇宙で神の存在を実感し、地球に帰ってから伝道師となりノアの箱舟探検家としても活動するようになったという事実である。人間は宇宙に出ると、思考感覚が地球レベルを超えると同時に歴史的な感覚においても人類史的レベルに一挙に転換されるのかもしれない。

●神はノアを「第2のアダム」として扱おうとした

 さて、40日間続いた大洪水がやっと終わり、漂流の末にノアの箱船はアララト山の頂上にたどり着いた。そしてノアが箱舟から出てくるのだが、その時のノアの立場は状況的に見て、天地創造時のアダムと等しい立場であることに注意されたい。だからこそ、神は洪水後のノアに対して、今は亡きアダムに語ったと同じ内容の言葉で、「生めよ、殖えよ、地に満ちよ。地の全ての獣、空の全ての鳥、地に這う全ての物、海の全ての魚は恐れおののいて、あなたがたの支配に服し、全て生きて動くものはあなたがたの食物となるであろう」(「創世記」9:1 〜3 )と語り、天地の再創造に熱い思いを示されたのである。きっと、神の目に映るノアの姿は、堕落する前のアダムの姿と切り離す事ができなかったに違いない。

 ノアが「第2のアダム」の立場に立っていることは、アダムの子供として記されている、カイン、アベル、セツという3人の男児に、ノアの子供であるセム、ハム、ヤペテという3人が対応しているという事実にも現れている。まさにノアの家族は、神がアダムから10代をかけて捜し求めた摂理的な家庭であったのだ。
ただ、もちろんノアも堕落したアダムの子孫である以上、サタンの血統である原罪を背負っていることは言うまでもない。だから、原罪のない人間、すなわちメシヤを地上に誕生させるためには、やはりアダムの家庭で行なわれたような「アベルとカインの葛藤」を乗り越えない限り、サタンは離れないのである。
 そして、アダムの時には殺害された次男のアベルが神に供え物をした重要な立場であったのと同様に、ノアの時も次男であるハムが重要なポイントとなるのである。

●ハムの失敗が再び歴史を狂わせた

 聖書には、ほとんど解釈不可能ではないかと思われるような不可解な記述がある。ノアの洪水のあとに記されている「ハムの家系が呪われた話」もその一つだ。ノアの洪水物語があまりにも有名なので一般にはさほど知られていないが、次のような話である。
 洪水後、ノアはぶどう畑の農夫となるのだが、ある日ぶどう酒でひどく酔っぱらってだらしなく、裸で寝ていた。その姿を見て、次男ハムは父の醜態を外にいる兄(セム)や弟(ヤペテ)に吹聴したところ、あまりにもひどい姿だと思ったのか、それを聞いたセムとヤペテが着物を持ってきて父の姿に目をそむけながら、その裸をおおったという。(「創世記」9:20〜23 )
 ここまでは何とか話としてはわかる。しかし、問題はこのあとノアが酔いから醒めて言った言葉がなかなか意味不明なのである。なぜかノアが急にハムの子供(子孫)であるカナンを強烈に呪い始めるのだ。聖書を追ってみよう。

「やがてノアは酔いがさめて、末の子(実はハム)が彼にした事を知ったとき、
 彼は言った、
 カナンは呪われよ
 彼はしもべのしもべとなって、
 その兄弟たちに仕える。

 
また言った、
 セムの神はほむべきかな、
 カナンはそのしもべとなれ。
 神はヤペテを大いならしめ、
 セムの天幕に彼を住まわせられるように。
 カナンはそのしもべとなれ。」 (「創世記」9:24〜27)

 つまり、ノアはハムのやった事に異常なほど憤慨しているのだ。「末の子」とあるのはヘブル語解釈上の問題で学説が分かれているが、末っ子(三男)のヤペテをさしているとすると意味が通らないので、ここでは関根正雄博士等の「年下の子」説を採用し、次男ハムをさすものとしておく(関根正雄訳・岩波文庫『創世記』参照)。

 私はこの部分の解釈に関して、日本基督改革派教会の榊原康夫牧師の説かれる御説明がきわめて鋭い視点を持つものと考えるので、敬意をもってご紹介させていただく。読者の方はあくまでも参考になさっていただきたい。
 榊原牧師によると、ノアがたとえ酔いから醒めてもそれだけではハムの行為の内容を知る事はできないと指摘される。酔いが醒めた時に「末の子(ハム)が彼(ノア)にした事を知った」とあるのだから、ハムの行為というのはその証拠がノアの体に痕跡として残っていたほどの積極的な恥辱的行為だったと解釈しなければならない。そしてそのような視点から、「ハムのしたことは、のちのソドム市民がした男色(ソドミー)以上の罪、父との男色という最悪の罪だったのです。カナン人の有名な淫行癖は、いわば彼らの血にしみついた根強い罪です」と結論づけておられる(『洪水とバベル』P.183 )。
 榊原牧師は、好色で誘惑的な性格のハムと比較して、セムとヤペテは潔癖で父への尊敬心をもつ、全く異なった性格であったと考えておられるが、実際そのように解釈しない限り、通常の生やさしい解釈ではノアがこともあろうに自分の子孫について苛酷なほどにその未来を呪った行為の説明はなかなかできないかもしれない。

 ともかく、そこにいかなる事件があったのかという結論を簡単に下すことはできないにしても、ハムは父であるノアが全生涯をかけた偉業である箱舟の行事を一度に踏みにじってしまうほどに破廉恥な行ないをしてしまったことは事実だ。考えてみれば、ノアの子供にとってノアは父であると同時に洪水から救ってくれた命の恩人であるはずだ。しかも、神から見ればノアは人間始祖アダムの立場に立てようとした、人類史上かけがえのない人物なのだ。そのように考えれば、ハムはまさに父であり命の恩人であり「第二のアダム」となるべきノアを口汚く罵り、ノアが裸で泥酔している姿を見てそれを“破廉恥な醜態”として吹聴したのだ。そのハムの行為は、神が最初に創造したアダムとエバの家庭の聖なる伝統を踏みにじってしまうほどの大罪となってしまったのである

●人種は分裂し、言語は乱れ、神の摂理は延長した

 ノアは、ハムの子孫を呪った。そしてセムの神(ヤハウェ)をほめたたえた。その後、これら三人の子はそれぞれ子孫をふやしながら各地に拡大していく。セム族は北部ユーフラテス地域に住んだユダヤ人、アッシリヤ人、アラム人等であり、ハム族は南方に向かい、アラビア、エジプト、地中海東岸等に住むことになる。ヤペテ族は黒海、カスピ海周辺に住み、ヨーロッパとアジアの大コーカサス族の先祖となったとされる(『聖書ハンドブック』P.80〜81)。

 人類学、言語学などの分類では、かなり大ざっぱすぎる嫌いはあるが、セムの子孫は黄色人種系、ハムの子孫は黒人系、ヤペテの子孫は白人系であるともされている。人種の分裂は、この時期から次第に明確になっていったのだ。
 聖書は、もともと「全地は同じ発音、同じ言葉であった」(「創世記」11:1)と記している。ところが、大洪水で天地を再創造するという神の計画もハムの大罪によって、また振り出しに戻されてしまったのだ。
そして、ハムの孫としてニムロデという人物が生まれた。彼は最初シナルという地方に国を作ったのだが、権力欲の旺盛な人で「世の権力者となった最初の人」とされている(「創世記」10:8)。その彼の守備範囲であるシナルの地で、とてつもない破天荒な計画が実施された。それは、天に届くほどの塔を建設して全地の権力をわがものにしようとする計画であった。これが有名な「バベルの塔」の建設である。その指揮者として、ハムの孫ニムロデが大いに活躍していた事は容易に想像できる。

 神はそれを見て、天使たちに命じて人間の言語を混乱させ、お互いに言語を通じなくさせる、という作戦を開始した。ハーレイ博士は「これは、人類の地上征服に対する神の人類分散策であった」といわれる(『聖書ハンドブック』P.82)。聖書的には、これが言語分裂の起源である。つまり、言語の分裂は人間の権力欲、支配欲が根本原因だったというのである。
 ともかく、ハムの愚行の代価はあまりにも大きい。アダムからノアまでの10代が、ハムのとんでもない行為によってやり直しを余儀なくされる事となり、神の摂理史はまた更に延長してしまうことになったのである。