「血分け」をいまだに信じる反対派


反対派の好きな「血分け」とは何か

統一教会に反対している方々はよく「
血分け」という言葉を好んで用いる傾向があります。これは統一教会とは無関係の用語ですので、その意味する所は彼ら自身の主張内容によらねばなりませんが、要するに配偶者以外の者とセックスをすることのようです。

統一教会にはそういう儀式も教義もありませんので、反対派の方々が好色な想像をたくましくしているというだけのことですが、こんな考えが出てくるのにも多少の由来がありますので、それについて書いておきます。

卓明煥氏の作った「血分け」論

まず、「血分け」といえば韓国の「新興宗教問題研究所」所長であった卓明煥氏を抜きにして論じることは出来ません。卓氏は統一教会のみならず多くの宗教団体について虚偽を撒き散らしてきました。「血分け」というのは戦前の韓国で多数生じた新興宗教の中に「混淫派」と言われる密教的集団が採用していた儀式の一種のようですが、卓明煥氏はその言葉を巧みに使って他の宗教のスキャンダル捏造に利用したのです。

彼の虚言癖は有名で、彼は嘘のスキャンダルや教義をデッチあげたために何度も裁判で刑事罰を受けています。統一教会との裁判においても彼の言動が嘘であることが判明して何度も罰金刑を受けています。

そして、彼は1978年に統一教会に対して謝罪文を公表しました。しかし、それでも虚言癖は直らずあまり反省はしていない様子でした。
http://www.chojin.com/history/tak.htm

朴正華氏の「血分け」論と、その訂正について

日本でも、1992年に
朴正華という方が『六マリアの悲劇』という、喜劇のような嘘の本を書きました。この本は、後に著者である朴氏自身が語っているように、お金に困っていた彼が3000万円(当時の韓国ウォンで約2億1000万ウォン)の印税収入を得るために、にわかに嘘をデッチあげたものだったのですが(韓国ではこの種の宗教者の嘘を捏造するネタは何の苦労もいらないほど豊富なので、いわば最も簡単な金儲けなのです)、実は朴氏は自分が金儲けのために文師を陥れようとしただけだったのに、その本の内容を利用して統一教会に反対している活動家が更に数十億円の大儲けの計画を立て始めたことを知り、朴氏は事態の深刻さに改めて驚いたのでした。

そして、朴氏は自分がそういう犯罪に発展する悪事に巻き込まれそうになっていることを危惧すると同時に、自分のやってしまった愚かな行為が恐ろしくなって、ついに真実を正確に書き直す決意をしたのでした。

その結果、
朴氏は1995年12月に統一教会の責任者に会い、『六マリアの悲劇』を書いた経緯とその内容の虚偽の部分について正直に告白しました。朴氏によると『六マリアの悲劇』の中で内容を取り消して謝罪しなければならない個所は少なくとも39箇所ありました。それらは主に「血分け」または、ありもしなかったセックス等の行為の部分でした。

そして、朴氏はその訂正内容をふまえて1995年11月に『
私は裏切り者』という露骨なタイトルの本を執筆され、その中でどうして『六マリアの悲劇』などという虚偽に満ちた本を出版するに至ったのかという経緯の説明や、文鮮明師に関して事実はどうであったのかという「本当のこと」を明確に証言したのです。

また、
朴氏は自分が虚偽の内容を書いた本を出したために統一教会の信者に大変な迷惑をかけてしまったということを痛く反省され、全国の主要な教会を巡回して「真実はこういうことでした」という内容の講演を、謝罪しながら繰り返し行なったのでした。

私たち統一教会の信者は、卓明煥氏の捏造したスキャンダルの内容にはうんざりするぐらい聞き慣れていたので、朴氏の『六マリアの悲劇』という本を見た時も、「何でまた朴正華さんがこんな古臭いデッチあげを本気みたいに書いているのだろうか」と不思議に思ったのですが、こういう嘘の本を書いても、悪びれることなく後から深く反省し、心から謝罪しながら真摯に講演をされる朴氏の姿を見て、「やはり初期の頃から文先生と出会って、本当の文先生の生活を見ている方は嘘を押し通すことはできないのだろうな」と思いました。

実際、一度はテレビにまで出演して嘘をついた者が、後で正直に「あれは嘘でした。私は裏切り者です」などと告白することは並大抵の決意がなければ不可能でしょう。朴氏は悩み抜いた果てに、一生涯良心の呵責に悩まされるよりも神の前に正直である生き方を選択されたのです。そう考えると、朴氏もまた立派な信仰者として尊敬に値する方であると私は思います。

ちなみに、統一原理から導かれる「象徴的血統転換」、「実体的血統転換」、「胎中聖別」、「原罪清算」などのメカニズムは反対派の方々の言われる「血分け」と何の関係もありません。2003.10.10江本武忠